薄曇りの日

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新年早々、痛ましいニュースばかりが続いている。全く民放を見ないようになってしまった私は、お正月特番とも無縁のまま、ひたすらにVシネを見たりFF14をやったりして元旦を過ごしていたのだが、まさしく戦闘の真っ只中に地面が揺れていることに気付いた。

立地の関係もあり、普段はほとんど揺れない我が家でも揺れを体感したということは結構な地震だったのではないか。そう思ってSNSを開き、揺れの度合いを知った。

そこから日をあけずに、今日もまた、事故が起こっている。

明確に自覚をしているわけではないし、昔よりは随分と強くなったと思う。それでもやはり、たとえ自分ごとではなくても、どうやら私はそこそこにダメージを負う性質らしい。具体的にどうというわけでもないし、ただ寝不足が祟っている可能性もある。年越しという(私にとっての)恐怖を乗り越えたところでの様々な出来事で、普段より影響を受けているのかも知れない。しかしいずれにせよ、元旦からずっと胸の内にずっしりと重いものがある。明るいうちはまだ良いが、夜も暮れてくると、それが私の無力や無神経をあれやこれやと責め立ててくる。辛い思いをしている方々のことを思ってのものではなく、至って、ただただ個人的に傷ついていることを詰ってくる。この何かは、もちろん私自身の声だ。私自身が、私を責めて傷つけている。どうにも自分を肯定できず、私に怒りを向けている。しかし、責められてもどうしようもないのだ。私はここにいて、今できることしかできない。何に傷つこうが苦しもうが、無理なものは無理だ。もっと何かできるのではないか、そう思うこと自体が傲慢の証だとすら思う。自分の力を過信しており、なんとも自意識過剰だ。

年始から厄介だとは思うが、これでも他者の声に被害妄想を抱くよりは十分健全だろう。私は、あくまで私自身と戦っている。仮想敵はいない。時間が経つことで落ち着くのか、きちんと睡眠を取ることで落ち着くのか、はたまたこの自己との闘争はしばらく落ち着かないのか。なんにせよ、生き物というのは思っている以上にあっさりと死ぬ。今、自分の立っている場所がいつだって崖の突端だ。生も死も一歩踏み出したそこにいつだって転がっている。その境界を自分で越えるような真似さえしなければ上出来だろうと思っているので、そのために私は自分を叩き壊しては作り直し、もう一度壊しては作り直す。

生きるのは尽きせぬ反復運動だ。泥の中を必死にもがいて、掴んだ粘土でどろどろの形を作り、溶かすのを繰り返していく。

その中でいつかどうにか、誰かの心や身体を私という泥で汚したい。私と同じく苦しみもがく存在に、深く消えない傷を残したい。同じ地獄を歩めよ、と耳元で唆してやりたい。

書くというのは、私にとって気持ちを伝える手段の一つでもある。私が伝えたいことは到底綺麗な形をしていない。掴み取った手をズタズタに引き裂くだろうし、私はそれで良いと思っている。傷つけることを良しとしている。よほど善良とは言い難い動機で、私はものを作り、息をしている。

私にものを書くという手段があって本当に良かったと心の底から思う。どうか、私の怒りと憎しみを食ってくれ。

@saba_ha_shime
生存している。