女性として他者に認識されることに初めて抵抗を覚えたのは、小学校低学年の頃だった。拙い自己表現として、装飾の少ない半袖半ズボンばかり着用していたことを覚えている。
何かと男性/女性の欄に丸をつける度にずっと心がくさくさしていた。ヲタクだったことが幸いして制服はコスプレと思って着ていた。
最大の問題は、10代後半からピルを飲み始めて第二次性徴期を迎えたことにあった。トラシャツ(当時はナベシャツと呼称されていた)を必死で探した(シリコン製ニプレスとニッセンの胸当て付きインナーは非常に良いhttps://www.nissen.co.jp/item/VSI0125B0029)。胸オペも視野に入れた。
就職活動に入り、スカートやパンプスが着用できなかった。私にとってそれらは女装であり、ビジネスの場でやりたいことではなかった。(プライベートではメンズレディース問わず着る。やはりコスプレと思って多様な衣服を着用する。)
ベリーショートにして女子トイレで咎められたとき、ふと、女湯に入っていいのか考えた。私が女性であるという前提である種安心してくれているかもしれない人、とりわけ友人たちが、どう思うのか悩んだ。今も悩んでいる。
私は女性として生まれた(AFAB)。自分自身の体感として、フィメールに軸足を置きながらその境界線上へ出ようとするタイプのXジェンダー(FtX)、またの名をノンバイナリーであると確信した。
ノンバイナリーは広義のトランスジェンダーに含まれるという考え方があると聞いた。けれども私の実感としては性別を超えて男性になりたいという感覚はない。生々しく具体的に言えば、女性器も男性器もない、乳房もない、性別のない存在になりたい。
この感覚が、社会的に女性として生きることのリスク(私は性被害経験がある)や男性として生きることのリスク(私は背が低く、運動が苦手で、収入が現時点において無く、「男らしさ」から大きく外れている)から来ているものなのかはわからない。
それでも私は、女性/男性という性別二元論に傷つき、どちらとしてもまなざされたくないという切実さを抱えているため、FtX、ノンバイナリーを自認している。
(ちなみに、胸オペだけでなくホルモン治療や声の手術にも関心はある。その選択をしたひとには特に敬意がある。ただ、自分の場合は金銭面と自分自身の声へのアイデンティティから、現時点では施術予定はない。)
この文章は友人へのカミングアウトを目的として書いた。これが、現時点で私自身の性別について言えることのほとんどである。見慣れない言葉や内容が頻出したかもしれないが、今までもこれからも私は私であるので、変わらず付き合ってもらえれば幸いである。ついでに、なんかあいつ性別あんまり無いらしいなとか思ってもらえたり、世の中に男女以外の性があることを知ったりしてもらえたらとても嬉しい。
(冒頭の通り幼少期から性別違和はあり、それは2025年8月現在に渡って続いているが、考えていくうちにまた異なる結論に辿り着く可能性もあるかもしれない。その際はまたお伝えできればと思う。)