韓国で起きた性加害事件(バーニング・サン事件)で逮捕された推しのファンは何を思ったのか。その推しの強火のファンで、推しからも認知されていた「成功したオタク」だったオ・セヨンさんが、同じような状況になった友人のアイドルファンたちにインタビューをしていくという、ドキュメンタリー映画。
日本でも上映されることを知った時、私が好きな宝塚歌劇を取り巻く状況とほんの少し似ているな、と思って興味を持った。
セヨンさんがファンだったときの行動が自分とちょっと似てて笑ってしまったけど(少し痩せてるのを見るとご飯食べてる?って心配したりとかね)。
こういう状況になったとき、「ファンをやめる」っていうのはものすごくしんどい。そのしんどさに寄り添うのがこの映画だったと感じる。
推しへの失望と、過去の思い出と。グッズを処分しようとしていて、ひとつひとつのグッズの思い出を話しているのだけど、「まだ好きなのかな」と思うところがあったり。でも、推しのやったことは卑劣なことだし、自分の思い出を穢されたことにはかわりはない。インタビューされた友人たちが、皆そういう姿勢で、誰一人推しを庇ったりしようとしなかった。そして、推しを庇うが余り、事実を認めようとしない人たちがいることも。朴槿恵の熱狂的な支持者の話がものすごく印象に残る。
自分の推しているものも今そういう状況で。私の好きな人は当事者ではない人たちではあるものの、同じ団体に所属してステージに立つ人たちなので決して他人事ではないのだ。加害者ではないけれど、それに近い人たちでもあり、ある意味被害者でもある。その状況が、余計にこの問題をややこしくしている。社会的にも道義的にも許されざることがまかり通っていて、それが「伝統」とされてきて。生存者バイアスで語られるそれらは笑い話になっていた。
しかし、とうとうその「伝統」とされてきたことで命を落とした人が出てしまった。そしてそれどころか、劇団のお偉いさんはご遺族に対して「証拠はあるんですか?」と言い出した。次々と出てくる元劇団員や現役劇団員の証言、劇団員間だけでなく、演出家→劇団員、演出家→演出助手による加害も明るみになってきた(演出家→劇団員、演出家→演出助手間のハラスメントは前年に週刊誌報道され、演出家は異動ののち退職、現在地位保全を求め劇団と係争中)。
どうしてこう、死人に口なしをいいことにこういう事を言い出すのか。音楽学校で起きた96期いじめ訴訟からもう15年近く経っているけれど、中身は全く変わっていなかったのかと呆れと怒りで心がいっぱいになった。
私はセヨンさんのように「推しと決別」はできなかった。でも、私はこの旧態依然とした体質が変わること、劇団員だけでなく、そこで働く方々が健康を害さず、悲しい思いをすることなく働けるようになっていくことを望み、それを見届けたい。ただ、それでも変わらないとするならば、もう二度と観ないだろうけれど。どうか、劇団がブラックボックス状態にならず、健全な方向に向かいますように。