小学生の私に「推し」の概念を教えてくれた怪盗キッド。
当時は「イケメンでかっこいい高校生のお兄さん」だったけど、今は「息子の歳が追いつくまでに終わってくれ」とひたすら願っている。
息子と同い年の推しはなんかしんどい。漫画は10年くらいで終わるべきだと思う。
その怪盗キッドの真実がついに明かされるとのことだったので、今日映画を観てきた。
真実を目にした私は「25年推してきて初めての感情」に出会った。
これが尊いか、と思った。この歳で新しい自分を発見したのが嬉しかったので書いておく。
※「推し」の概念が苦手な人にはただの気持ち悪いオタク話なので読まないでください。笑
推しが尊い=めっちゃ好きの誤解
この感情に出会うまで、尊い=めっちゃ好きだと思っていた。
推しの誕生日や命日にお祝い??する人をみて、いやー本気で好きなんやなぁと。半分正しいけど、半分は間違ってた。
私にとって推しは、好きな箇所(点)の集合体だった。
イケメン
セリフかっこいい
優しい
など、作者の作る萌え要素の一つ一つにのっかってる感覚。それも楽しみ方としてはあってるけど、好き=尊いではない。
尊いというのは、全然別の場所にある感情だった。
推しが報われた瞬間、親友を応援してる気持ちになった
映画の最後で驚きの真相を見た後、私の頭は「怪盗キッド良かったな😭まじで良かったな😭😭😭😭😭😭✨✨✨✨」でいっぱいになった。
いつもは真相を知った後、伏線回収モードに入るけど、そんなこと何も考えられずひたすら「良かった😭ほんとに良かった😭」という気持ちが支配した。改めて文字にするとだいぶキモイ。
※ちなみに真相の内容としては、推しの行動の核になってた悲しい出来事が実はなかった感じ。ワンピースで言うと、シャンクスとゼフの手足が実はあった的な。
それはもう、親友のお母さんが大手術に成功したのと同じくらい嬉しい&ホッとした気持ちだった。
たぶん、これが「尊い」の正体だと思う。ただときめくだけじゃなくて、実際に存在する人として全力で応援できる感じ。
そこに存在してるんやとしたら、誕生日も命日もちゃんと祝う??の当たり前になるなぁと。尊いの正体は深い愛情だった。
最後に全然関係ない話するんやけど、私の推し(2次元)で生き残ってるの怪盗キッドだけかもしれない。
エースもイタチもメインキャラ強化の犠牲になってしまった‥報われない推し‥死ぬなよキッド‥おわり‥。