首都高横羽線くだり

sagan
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大師の料金所を過ぎたあたりからだろうか、しばらく合流も分岐もない単調な道が続く。断続的に道路の凹凸で車体が揺れるが、それさえも一定のリズムで揺れてしまうと心地の良い振動に過ぎない。急いでいないので左車線をひたすらなぞる。アクセルを同じ角度のまま踏み、前後の車間距離も変わらない。メーターを見ると70km/hだった。右側ではたくさんの顔をした車たちが足早に通り過ぎていく。つい数時間前までは私も反対側の上り線で右側を突っ走っていたのだが、それももはや懐かしい。退勤時間にはまだ少し早い夕暮れ時に、走っているのか眠っているのか分からないような表情をして進む。

西陽が進行方向の目の前に現れるところまで来た。浜川崎あたりだろう。迷うことなく太陽へ向かっていく。ここを通るたび、イカロスの翼を思い出す。夕陽に身を焦がす車たち。眩しくてサンバイザーをおろすも、背もたれに寄りかかると目線の高さが合わず、容赦なく日が差し込んでくるので姿勢良く運転をしないといけない。遮音壁がなくなった途端、左手に更地になった工場地帯が見える。地面には細い鉄柵が何本も植えられ、それがかつてここにあった建物の名残なのか、それともこれから建つ工場の間取りなのか――知識が乏しいばかりに正解が分からない。答えが出ないまま、やがて生麦ジャンクションに近づく。第三京浜へ繋がる道を示す緑の看板は、逆光で見えにくいことを考慮されて文字はメッシュのように細かく穴が空いており、湾岸線の文字が日に透けて赤白く光っている。

もう日はすっかりのびた。年末にも同じ道を隣に上司を乗せて走ったが、その時はもっと空が虹色に暮れていた。視線が持って行かれ、ずっと視界の端に捉えて眺めていた。かつても冬の夕方に、その虹色の空を何回か見た。当時やる気があるのかないのか自分でも分からない就活で、サイズの合わないパンプスを履いて日々電車に乗っては帰りに立ち食い蕎麦をすすることを生き甲斐にしていたとき。くだり電車に一定のスピードで揺られながら「虹色の夕暮れを見るたび、この就活のことを思い出すだろう」と確信していたのだが、我ながらだいぶセンチメンタルに傾倒していたと思う。

ゆるいカーブを何度か終えると日は完全に落ち、姿勢もとっくに崩れている。それまで工場地帯や物流倉庫の森を通っていたが次第に左右とも高層ビルたちに囲まれ、目的のインターまで近づいた。ビル風が強く、ハンドルをやや取られて慌てて握り直す。先ほどまで見ていた温度のない眩しさなどすぐに忘れ、さて会社に着いたらまず済ますべき業務はなんだろうかなどと考えながら、アクセルを緩めてウィンカーを出し、緩く続く坂道へ沈んで行った。

@sagan
きまま