実家の猫が虹の橋を渡った。つらい夏の暑さをやっとやっと乗り越えた10月の頭で、秋らしい気候が増えてきたあたりだった。
16歳。あまり食べなくなって、元々すごくよく吐く猫だったので撫でると背骨から肋骨に触れるくらいカリカリに痩せていたけれど、直前の血液検査では健康そのもので、大して食べないけど朝4時に必ず新鮮なご飯を入れろと父を起こしにいき、家の気温を敏感に察知して自分の心地よい場所を転々として眠る、そんな16歳だった。家族は「もう16歳だから」と言っていたのに、動物病院の先生からは「まだ16歳ですよ」と言われるような、人好きで、父のお客さん全員に撫でられに行き、年端も行かない子どもたちの接待もしてくれるような、そんな16歳。痩せているけど毛艶はよくって、ちょっとびっくりするくらい目鼻立ちがくっきりしたかっこいい顔だけどだみ声で、ちゅーるなどの液体ご飯より弟がたまに釣ってくる魚の刺身を好み、出汁をとったあとのかつ節やスーパーの古い刺身はぺっとする美食家。生まれた春先に大学敷地内で雨に濡れていたところを弟に拾われて、夏に実家にやってきて、16年家族だった。母が仕事から帰ると、いつも眠っているソファーの上で、いつも通り眠っているようにして、虹の橋を渡ったあとだった。
会議を欠席して夜実家に顔を見にいったら、びっくりするくらいいつも通り寝てた。ふわふわツヤツヤで、小さい頃かじってしまって先だけカギ尻尾になった部分もそのままで、抱っこしていたら温かいのに、柔らかな肉球だけ冷たかった。お腹に残ってたおしっこが抱いてる間にちょっとずつ出てわたしの膝を濡らした。くるまっている布やつやつやのキジトラの毛の上に、とめどない涙を流して、家に帰ったあとも、次の日も、尽きない涙を流して、泣きすぎて鼻炎になり、風邪をひき、副鼻腔炎になった。書いたらつらくて、でも書くことでしかお別れできないと思い、書いているけど、泣いては休んでを繰り返している。
猫はキジトラだけど、小さい時はずっと灰色が濃くて、拾われた時は銀色だったので名前は弟によって「ギン」と名付けられた。
まあ、対外的には上記の理由を話していたが、ギンなのは、弟が好きな「銀牙ー流れ星 銀ー」(高橋よしひろ先生)が由来の一つでもあるのだが……
大学校内で拾われたので、祖母は時々「ギンは大学を出てる」と冗談を言って笑っていた。ちなみに、家に来た時に、納豆好きの弟が猫が訴えるまま納豆を与えていたので、納豆に飛びつく変わり者だった。食いしんぼうで、食卓にあるもの全部食べたがる猫だった。人間が目を離した好きにおやきをつまみ食いしたらしく、尻穴からつーっと切り干し大根が垂れていたのを母が発見する事件もあった。くれぐれも子猫や子犬のいる家庭では切り干し大根のおやきの放置は気をつけてください。
まあそんな感じで、子どもたちが全員大きくなって言うことをそこそこ聞くようになった我が家に、理屈が一切通らない、のびのびとしたちっこい怪獣が来た。それまで犬がいた我が家だったが、まだ犬は外で飼うものという強固な観念が祖父母や両親にあった時代だったので、犬は外で、猫は家の中に迎えられた。子猫はそれはもう好き勝手で自由で寝てる時以外ずっと賑やかでいたずらばっかりして、清々しいほどのびやかだった。セミやネズミを捕まえて遊び、新聞を読もうと開けばダッシュで邪魔をしにきて、カーテンレールにのぼり、柱という柱をよじ登り、障子に穴を空けまくり(父が障子を変えたその日に、パリッとした障子を横目で見た瞬間ブスッと手でひと突きしていたので、完全に遊んでいたのだと思う)、脱走しては近所の野良たちと喧嘩をして負けて帰ってくる。だから猫エイズをもらって帰ってきて、一度は本当に死にかけた。猫エイズは致死率の高い病気だけど、まだ若いから望みはあるかもと言われ、苦しむ猫を見るのは本当に嫌だと言いながら、母が連日病院に連れて行き、奇跡的に回復した。それ以来、弟の友人らが実家でどんちゃん騒ぎをするときには、「ギン貯金」と書かれた郵便ポストの形の貯金箱に弟の友人がいくばくかお金を入れていくようになった。弟に拾われて一度、家族旅行1回分のお金でもう一度生き延びた徳の高い猫はそのあと外出禁止令を敷かれて、当然ねこに言葉は伝わらないので、脱走ルートだった祖父母宅のベランダ(繋がっているので猫も行き来自由)によじ登れない高さの柵と網をくくりつけた。見た目が完全に刑務所のベランダになったけど、猫の安全にはかえる代えられない。そのあとも隙をついて度々脱走したけど、大きな事故は起きなかった。猫は年老いて、今まで軽やかに登っていたキッチンの飾り棚から降りられなくなった。後ろ脚の関節がしっかり伸びなくなった。ゆっくり階段を降りるようになった。寝てる時間が増えた。ベランダの柵は必要なくなった。
わたしが帰ると必ずそっとそばに来て、カギ尻尾を足の甲に乗せる。あるときはふくらはぎに頭突きをして、あるときは脚の間に挟まり前を見て待つ。ここ数年は大型犬の直球エンドレスラブを浴びているので、猫の愛情表現に悶絶する。でも撫でる回数を間違えると怒る。ベランダに行きたいのに襖が閉まっていると文句。両親が旅行で不在となりお世話係のわたしと2人きりでいなければならないと、ぶんぶん怒ってしっぽを床に叩きつけ、入り口という入り口を文句言いながら確かめにいった。若い時は全然鳴かなかったのに、年老いてものすごく文句を言うようになった猫だった。
パク・ソルメ「影犬は約束の時間を破らない」の表題作には、影犬がでてくる。影犬はその名のとおり、影の犬だ。影犬は心身のピンチを察する。疲れはて、無気力になっているとき影犬は現れる。影犬は散歩を要求し、外に連れ出してくれる。影犬は得体の知れない暗闇から助けてくれる。影犬はよく知っている犬でもあるし、知らない犬でもある。旅先に向かう飛行機の中で、わたしにも影犬と影猫がいつか現れるだろう、と思いながらその本を読み終えた。でも、影猫は、そんなふうに助けてくれない。影猫は好きに寝る。影猫はご飯がないから出せという。影猫は布団の上で眠り体位変換を妨げる。あるいは布団の中で丸まりうっかり足で蹴飛ばすと噛み付く。寒いことと暑いことを許さない。快適な環境がなければこの場所にいなくてもいいのだと教える。わたしは、あなたのために日向に続くドアを開けようと起き上がり、日向で背中を擦り付けてまどろむ影猫をながめる。
わたしたちの大事な猫、大事な家族。氷見産の分厚いブリをどの家族よりも先にガツガツ食べ、暖炉の前で眠る猫のいない年越しはさみしい。柔らかく暖かなお腹と手足の隙間に手を入れられないことが寂しい。炬燵に足を入れるときに爪先でなめらかな毛を探さなくても良いことが寂しい。あなたのために陽の差すベランダの扉をあけなくてよいことが寂しい。たくさんそばにいてくれてありがとう。