ソレ系統の記事を流し見しながら、共感しては絶望したりしている。自分の文章の書き方もソレの傾向が如実に現れているようだった。確かに頭の中は常に煩い。メインの話題は常に変わるがわる。何かしらの音楽やセリフや場面が繰り返し再生され続けている。出来事を連関する線として考えられない。 書くことが必要だった。筆記への信仰。日記砂丘禍根と保身の集積所。