昼前から出て、休憩スペースで缶コーヒーを飲んでいた。瞬間のハイライトよりもこんな幕間のようなのったりした時間の方を欲していたのかもしれない。お互いあってこそのそれぞれ、と言われてしまえばそれはそうなのだとは思うが。
電話の一つが心的なけたたましさで鳴ってくるといった余暇の中断は、なかった。なんか起こってるかもしんないけど。サービスエリアのフードコートで麺を啜った。そうすることはちょっとした憧れであった。だが実際のところ、あまり満たされなかったのが正直なところだった。働いてるから肩身の狭さは感じない、とか思ったからかもしれない。労働の有無で肩身の狭さの有無を決めるのはある種の傲慢なのではないか。あのフードコートの広さと自分の身一つの空間的な対比の実感は、その傲慢さにも由来しているのかも。というわけで今日は結果的には空振りだったとも言える。
……こんな文からして想像するに容易いが、「話ができないんですよね」、と打ち明けたい。話すべき要素の取捨と、取捨に伴う緊迫感と、それで思考が停止するのと、関係なく意識を巡ってる諸々と。