食後に眠気や怠さに見舞われるのは血糖値の急な変化、いわゆる血糖値スパイクと呼ばれる症状によるものだと知った。単に「食べることもエネルギーを使うからね〜」的な呑気な了解で済まされるようなことではなかったようだ。うん、知らないでいたかったかもしれない。体調面からすれば正しい認識を得られてよかったと言えるが、ただ、気分的にはこう、誤認していたかったなと。
誤認。まだ誤認していたいこと、意義とするところに即して言うなら「正しい認識に気づかないままでいたい」ことは、それなりに多くある。正しい認識がより過酷な現実を指してくることがあるからだ、いや大抵そうだ。そういった事柄がことごとく誤認だったと気づかされる、あるいは誤認なのではないかと不安になる時期がある。それが春という季節なのではないかと思うことがある。ほかでもない自分の性分と来歴がそう思わせてくる。それこそ過酷な現実が正しい認識でした、ということばかりであったから。あなたはどうか。どうでしょうか。どう思われますか。
……そんなでもないか。いやそんなこともなかったりするのかな。感傷的すぎますか。そういえば急にあったかくなりましたね。諸々が活動し出し、変動し出し、心境もそれらに応じざるを得ない時期とでも言いましょうか。また大きく誤るかもしれない。やり通せないかもしれない。そんな不安がある。そうとしか思えない、というか実際に早速やらかしの気配がある。だからなんか変に、かつ良い塩梅に気がそれとなく触れてこんなことを書いたかしれない。「春眠暁を覚えず」もただの血糖値スパイクだったし。春霞は不安の隠喩……ではないと本当は良いのかもしれないが。でも桜の木の下には死体が埋まってるとも言うからな、今はそういう陽の位相と陰の位相の相関関係の中に、展望の種みたいなものを望む心持でいる。あなたはどうでしょうか。