2024.3.27

昨夜は眠さに勝てず雑な日記を書いてしまった。書きたかったことはそれなりに書けているけど微妙に力尽きていた箇所がいくつか。読み返して悶えたのち、ちょっぴり手直し。

それにしても忙しくなると途端に感情を捉えるフィルターが粗くなってしまう。できごとの羅列以上のものを書き残したくて日記を書いているというのに。

感情を捉える、つまりできごとに自分なりの解釈・意味を与える機能が落ちる理由ははっきりしている。忙しくなるとどうしても濁った感情も出てくる。そこに目を向けすぎると公私/心身のパフォーマンスが落ちるのでなるべく「見つめないすぎないようにする」という処世術が、私的なアウトプットにも響いている。

散々待たされた仕事の割り振りが不可解だったため早くも気が重い。仕事内容そのものには不満はない。任せてもらえるだけの積み上げの成果だと自分では思っている。だけどかなり暇になりそうな新任(次で2年目)が同チームで、しかも来年度も暇になりそうなのはなんだそれ?案件である。呪ってやる日記になってしまうのでこれ以上は控えるが、濁った感情のオンパレードである。とはいえ来年度からはチームメイトなのでできるだけ穏便に、自分の仕事を粛々と積み上げていくしかないんだろうなあと頭を抱えてしまった。

正直なところ、専門職員じゃない、正規雇用じゃないの「じゃないの連続」に、ふとした時にわーっと叫び出したくなる。積み上げたところで次があるわけじゃないことが苦しくてたまらない日もある。

が、これに関しては感情に捕まったら最後、二度と立てなくなってしまう気がしているから、あまり見つめすぎないことを意識して生活している。とはいえ「見つめすぎない」ことに注力し過ぎると、今度は自分自身の日常のはっとする瞬間まで見落としてしまうため、塩梅が難しい。

ひとまず私の中で心地よさの灯になっているのが食と被服類なので、生活からその部分を書き抜く習慣がついたのはとても良いことだと思っている。私にとって、書くことは自分の頭を撫でてやることと近しい。まずは目や皮膚に触れて心地よいものの手触りをなぞることで、それを心地よいと感じる自分の輪郭を取り戻せるような気がする。

[お弁当]素焼き豚のミニトマト炒め、豆苗の海苔ポン酢和え、潰しレンチンじゃがいものカレー生姜たれ和え、卵焼き。素焼き豚は汎用性が高いことがわかったので今夜も500g分を追加仕込みした。

[服]セーラー襟ワンピース(foufou #51)/白タートルネック/黒カーディガン/グレータイツ/白スニーカー/黒La Rotonde '19(foufou)

セーラー襟のワンピースはかれこれ半年近く欲しかったもの。じっとりウォッチしているうちにいよいよラスト1枚になってしまったので慌てて購入した。中高6年間セーラー服だったこともありなんとなくノスタルジーに。これで春夏の黒ワンピース運用はだいたい見えてきた気がする。