2月11日(日)
今住んでいる部屋をもうすぐ明け渡すので、今日はその準備をした。引っ越し先は車で1時間くらい離れた隣町。その街には一度も住んだことないけれど、通った高校があったり職場があったりして縁は深い。とてもよく見知った街。
4年前、コロナ禍の始まりと共に今の部屋に移り住んだ。これが私にとって初めての一人暮らし。それから少しずつ荷物が増えていくにつれて、自分の新しい暮らしがこの地に馴染んでいくのを感じた。
引っ越す日までに荷物を梱包したり処分しなければいけない。棚やクローゼットから荷物を引っ張り出して整理する作業は、自分の暮らしがようやくこの場所に張った根をぶちぶちと引き抜いていくような感じがして、少し気が引けた。
2月14日(水)
今日が誕生日の友達にLINEギフトを贈った。その友達とはもうここ2、3年会ってないけど、その間も誕生日にはスタバのドリンクチケットを贈っている。いつだったか、今日が誕生日だとプレゼントがチョコばかりになると言っていたことを毎年この日になると思い出す。
歳を重ねるとよく会う友達の範囲が少しずつ狭くなっていく。頻繁に会っていた友達でさえ数年会っていないなんてことがザラにある。特にここ数年はコロナ禍だったからかもしれないけど、それが終わったからといってかつてのように会う機会が増えるわけじゃない。きっと自分と同年代の人たちは、今そういうライフステージにあるのだと、最近はそう思うことにしている。
私には、時間が空きすぎてもう友達として気軽に連絡できない人がたくさんいる。毎年今日になるとLINEギフトを贈るその友達とも、この先しばらく会うことはないのかもしれない。だから、この年1回の些細なやり取りだけは欠かさないと決めている。お祝いの言葉には、どこか祈りのような気持ちが同居している。
2月18日(日)
訃報はまた突然やってきた。4ヶ月の間で祖父と祖母が立て続けに亡くなり、これで私のおじいちゃんとおばあちゃんは全員いなくなった。
人の死に触れると思うことがたくさんある。そしてその時が訪れる度、繰り返しそれを再確認する。手を合わせ、棺の中に花を置く。親戚の幼い子どもは無邪気に、綺麗に向きを揃えながら花を飾り付けている。この子が死の意味を知るのはきっとまだ先なんだろう。花を入れ終わり、棺から少し離れる。棺の蓋を閉めるまでの最後の時間、私は賑やかになっていく棺の中をじっと見つめて過ごすことにした。今見たものは、これからも忘れずに覚えておきたい。こういうとき、私はつくづく写真というものに甘えていることを思い知らされる。
母は祖父と祖母は仲が良くなかったなどと言うけれど、本当はそんなことなかったのだと思う。祖父が亡くなったとき、棺の中の祖父に語りかける祖母を見てそう思った。正直、私は祖父と祖母がどんな人生を歩んだかよく知らないけど、今日祖母を見送ったら、2人の人生の結末を見届けることができたような気分になった。