暮らしの報告書 vol.2

saisekai
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2月21日(水)

仕事で上司たちと外出した。課の中では珍しい組み合わせでの外出だったからか、お昼ご飯と立ち寄ったカフェでパフェを奢ってもらった。

「今年一年よくやった、頑張った頑張った」と言われながらパフェを頬張る。どうやらこれはそういう意味のパフェらしい。完璧ではなかったけど、それでも人並み以上の仕事をこなしたと自負していたからか、こうして労ってもらえたことは素直に嬉しく思う。パフェを食べ終えると、もう一人の上司が「たまにはこういう日がないとな」と言う。この言葉を免罪符にして、すっかり満腹になった私は職場への帰路に着く。

褒められたときに貰えた言葉のことを、私はお守りのように感じている。「頑張った」とか「よくやった」とか、それ自体は中身のない言葉だけど、その言葉を貰うまでには何かしらの過程があったのだから、私はそれを忘れないようにしておきたい。

2月25日(日)

BUMP OF CHICKENのライブに行った。ツアータイトルは「ホームシック衛星2024」。16年前に開催されたツアー「ホームシック衛星」のリバイバルツアーらしい。あまりにも懐かしい響きだったせいで、どうでもいい昔のことを思い出してしまった。

17年前、映画のCMで流れていた「花の名」をテレビで聴き、これが最近学校で話題になっているロックバンドか、と少し興味が湧いた。CDをレンタルしてみようと思い立ち、今はもう潰れてしまった近所のゲオに行って、店頭の目立つところに置かれていた「メーデー」と「花の名」を手に取った。それがBUMP OF CHICKENとの出会い。

当時の私は中学2年。同じクラスにいた苦手な友達がBUMP好きで、クラス中に布教して気付けば学年中で大ブレイクした。中学生の世界なんて今思えばとても狭い。BUMPはそのとき一番イケてるコンテンツで、流行の最先端だった。

その年の冬、BUMPがアルバムを出した。何がきっかけでそうなったかは思い出せないけど、苦手な友達からアルバムを借りることになった。CDの歌詞カードとは思えない分厚さのブックレットをめくりながら、全部の曲を何度も聴く。私はその曲たちをとても気に入り、それ以降BUMPをよく聴くようになった。

後日、苦手な友達がBUMPのライブのチケットを取れなかったと話していた。どうやらツアーの抽選が全て終わり、もうチケットは完売らしい。私にはライブというものがどんなものかピンと来なかったけれど、「ホームシック衛星」とかいうタイトルのそのライブに、私も少しだけ興味が湧いた。

あれから16年。その後もいろいろあって、私はまだBUMPの音楽をいつも心の側に置いている。当時ピンと来なかったライブというものも、その後何度も足を運んで今ではとても身近になった。

あのとき苦手だった友達が今もBUMPを聴いているかは知らない。今となってはそれを尋ねる手段もない。その友達がBUMPを好きだったから、私はあまりBUMPが好きだと言わなかった。奇しくも同じ高校に進学し、1年のうちは同じクラスになった。2年になってその友達と違うクラスになり、そこでできた新しい友達とBUMPの話をして意気投合したから、それからはBUMPが好きだとはっきり言えるようになった。そんなこと、今となってはどうでもいい。どうしてその友達が苦手だったのかさえ今はもうよく思い出せないんだし。結局、私はその友達のことを苦手のまま、高校卒業と同時にその友達の人生から退場していった。

スピーカーから届く大音量を浴びながら、今更友達と呼ぶのも憚られるそいつが、もしかしたらこの広い会場のどこかにいるかもしれないと考えてみる。それを確かめる手段も必要もない。ただ、そうであったらいいなとだけ思う。これは寂しさとは全く違う、けれどもよく似た感情。

@saisekai
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