「今年は年男なんだな。3周目か。」なんてことを思っていた。元旦に実家で昼寝をしている最中、緊急地震速報が鳴ったと思ったら能登半島で地震が発生し、気持ち悪い揺れにひとしきり不安を煽られた後リビングへ行くと、NHKで女性アナウンサーが必死に被害地域の住民に津波から逃げるように呼び掛けていて、それは2011年の悲劇を防ぐためにある意味過剰気味に行っていることは頭で理解しつつも、その鬼気迫る声になんだか怖くなってしまい、涙が出てきてしまった。Xには早速被害の写真や投稿が見られ始め、「ああ、これを見ていてはじきに気持ちが持たなくなる」と判断し、見る事を止めた。Youtubeで見慣れたVtuberの配信や切り抜き動画なんかを見てなんとか気を紛らわせた半日だった。
父親が「それほど大きな津波は来ないと思う」「50人は死ぬだろう」と言っていた。なぜそれほど大きな津波が来ないと思ったのだろう。結果的には来なかったのだけれど。死人は90名を超えた。一体なにをもってして50人と言ったのだろう。発言の根拠は自分には分からないけども他人ごとで無責任だと感じた。
姉は金沢の実家に帰っている彼氏からの連絡を待ちながら、Xで助けを求めている投稿があることを言っていた。自分もXを見るのを止める前に2件ほど見かけた。Xを見るのを止めたのはその投稿に多くのリプライとリポストが付いているのが目に入り、「ああ、なんか嫌な感じだな」と思ったからだ。
弟は姉の発言を受け「それ全部デマらしいから信用するなよ」と言っていた。母親も「こんな時にほんま嫌やなあ」と同調していた。
本当に?本当に全部デマなんだろうか。自分には分からない。なんで全部がデマと言い切れるのだろうか。Xで誰かが言っていたからだろうか。そこに自分の考えや意思は存在しているのだろうか。
自分は何も言わなかった。自分は本当にそうなのか分からないとしか思考が至らないし、何かを言葉にしたところで家族の考えや何かが変わることもないから。ただ、この人達はどこまで本気でこれらの事を口にしているんだろうかと思った。
30数年生きてきた今、家族の事は分かっているようで、ここにきて改めてよく分からなくなってきている。自分は不確定なことや分からないことを安易に口に出す事を躊躇ってしまうのだけど、家族は割と思ったことをすぐに口に出す。聞いていてそれは果たして正しいのだろうか。と感じることも口にする。
ただただ自分が優柔不断で日和った人間なだけなのか、家族が深く考えずに口にする傾向にあるだけなのか、これも分からない。ただ、他の要素も含めてここ数年は実家に帰ることに前向きな気分になれないのは事実だ。
自分はずっと自分の生き方に迷っている。