年末年始と前職の同僚や大学時代のサークル仲間、中高生時代の友人、地元の旧友、家族、と自分を知る色々な人達に会った。昨年5月から行っている転職活動が上手くいっていない事から今後の方針について悩んでいる自分にとって、他者から見た自分というものを再考したり、周りの人間の性格と自分との違いなどについて考えたりするきっかけになり、改めて色々な人間と交流することは刺激になるな、コロナ禍の影響もあったけれどここ数年は出不精すぎたかな。などと思った。
最近ADHD/発達障害/神経発達症について改めて調べたり情報を集めている。何故かというと自分は所謂ADHDというもので、その特性も再認識したうえで転職活動を進めた方がいいような気がしているからだ。ADHDといっても検査によると「傾向は出ているが軽度の」ADHDとのこと。分かったのは2021年の初頭、3年程前のことである。
新卒で入社した前職でまあまあのパワハラを5年近く受け続けてきた影響か、心身ともに色々無理をしていたのか、2016年に退社し、翌年に現職に転職をしてからというものの、2~3か月おきに鬱期が訪れるようになった。初めのうちは自覚は無かったが、やたら元気で活動的な時期が1か月ほど続いたあと、身体を動かす元気がなくなったり、何もしたくなくなる時期が2週間ほど続くという波の繰り返しがあることに途中から気付いた。
躁状態の時にはやたら自尊心が高まり、周りの人間が全てのろまに見え、些細なことで苛立ち、不注意によるミスなどが増える。鬱期には工場で働いていると設備の駆動音や接触音など全ての音が頭が痛くなるくらいに耳に刺さり、昔の失敗や罵詈雑言を浴びせられた嫌な記憶が芋づる式に蘇り続け心を蝕むといった感じで、周囲の物を破壊したくなる衝動が抑えられなくなり、空になった薬品のポリタンクをよく蹴とばして一時的に衝動を抑えていた。仕事中にそのモードに入ると「そろそろ限界っぽいなー」と認識し、無理にでも1日有給を取ってその日は散歩をしたり買い物をしたり、ジャズ喫茶に行って気分転換をしていた。
ただただ繰り返していても良くなる兆候もないしこれもう医者に頼った方が楽なんじゃね?と思い行ったメンタルクリニックでの診断結果は「軽度の双極性気分障害」とのことで、これまた間違いなく躁鬱を患ってはいるが、上記の息抜き程度でなんとかコントロールできる範囲ではあるという認識だ。もっと辛く苦しい思いをしている人はいくらでもいることを考えればまだマシである。
ADHDについてはネットニュースなどでたまに見かける事があり、「ぼちぼち当てはまるなー」程度に感じていたのだけれども、自分の漠然とした上手くいかなさについて確信が持ちたくて同時に相談したところ、何回かに分けての検査・テストを受けた結果、上述の通り軽度のADHDであった。3年前なので詳しくは忘れたけれど8項目中6項目がADHDに当てはまる数値かなにかが出ていて残り2項目もほぼスレスレみたいなスコアが出ていたのでまあグレーよりは一歩進んでいるといった感じ。
ADHDというと衝動性・多動性・不注意といった特性が挙げられる中で、長年付き合っている自分の身体なのでそれぞれある程度コントロールは出来ているものの、やはり出るときは出る。
衝動性:何かを見て欲しくなったものを使うかどうかも分からないのにすぐに買ってしまう。最近は弾き語りしてえなと思って急にアコースティックギターを買いました。飽きてきた。
多動性:これは一番コントロールできている方だと思うけれど、身体を動かす・特に音を出す事に興奮を覚え、出したくなる、動きたくなる癖はある。脳みその中は仕事中だろうが常に連想ゲームや思考ゲームです。仕事中にラーメンとつけ麺の違いについて考えていたら異常者扱いされた。
不注意:特に感じるのは仕事中に手元の作業に集中していると周りが見えなくなって身体や頭をどこかにぶつけるとか、空間認識能力が低いのかもしれない。クレーンで頭にたんこぶを作り、設備に腰やお腹をぶつけることは日常茶飯事である。
あとよく言われるところでは感覚過敏の聴覚過敏は持っていると思う。職場の工場内は設備の駆動音や振動音、エアーブローの音などがけたたましく鳴り響いているので自分はイヤーマフを付けていないととてもじゃないと耳(頭)が持たないのだけれど、周りの社員は全員そんなものは付けずに365日仕事をしている。信じられない。そもそもなぜ仕事ごときの為に聴覚を犠牲にしなければならないのだとも考えているけれど。精神的なコンディションが悪いと立っているだけで眩暈がしてくるので一つの指標になっている。
実家に帰った時もリビングでは大音量で音楽番組やYoutubeを家族が見るのと、飼い犬の鳴き声が鳴り響き、またリビングの反響も相当悪いらしく、寄生した時は居場所がリビングしかないにも関わらず環境が悪いことでHPがモリモリ削られていく。家族は慣れ切ってしまっているのか鈍感なのか分からないが気にしていない様子なので自分が敏感気味なようだ。
嗅覚・触覚・味覚に関しては過敏だと思ったことはないけれど、視覚については光には少し弱いように感じる。今思えばストレスフルだった前職時代、自宅の調光ライトを最も暗い状態していて友人を招いたら「暗すぎやろ!!」とドン引きされたのが記憶に残っている。疲れてくると明るいのが駄目になる。
支障が出ているところは出ているし、出ていないところについてはそれほど気にしていない。ああ悪い癖出てるなーと自覚することもある。
私生活で支障が出ている面で言えば、掃除・皿洗いがとにかく嫌で、掃除に関しては生活スペースが減ったりゴミが溜まるのは厳しいと感じるので比較的やるのだけれど、皿洗いは本当に嫌いで、基本最低限の水洗いだけしたあと1週間分ほど溜めてしまう。なんというのだろう。マイナスから0に戻すだけの行為が退屈すぎて苦痛に感じてしまう。掃除はついでで整理に繋がったりと部屋に変化が現れる面があるのでやりだすとそこそこ楽しい。
あと、直近ではIHコンロが故障したのだけれど、これを管理会社に連絡が出来ていない。これが使えないと煮炊きものも焼き物も作れないし、インスタント食品も食べられないものが増えるので困っている。困っているのだけれど先延ばし癖が出て連絡できずにいる。管理会社連絡して写真を送って、修理業者が来る日と立ち会う日時を決めて、というのを想像しただけで相当に億劫だ。気が重い。ここら辺は報酬系機能が低下しているという奴だろう。先日、自分で「目の前に人参がぶら下がっていないとやる気が出ないんですよね」と言っていたが自分の事はやはり無意識でも理解しているものだと思う。
あと年末の忘年会で再認識したのはワーキングメモリーが低いということだ。聴覚過敏も関わってくるのかもしれないけども、外食の場に出ると周りの話声や食器の立てる音、椅子を引く音、店内のBGMなどに耳が奪われ、目の前の話している内容に集中ができなくなる。場所にもよるけども対面なら2~3名が限界だ。それもあって、5名以上集まる食事の場が苦手、個室もしくは隣あった席がそれなりに離れていないとキツイ、大声で話す客層のいる店なんてもう最悪。自分で店の予約を取る時は無意識にそれらの条件を外して選んでいたけども、他人が選んだ場合はそんなことはおかまいなしなので無秩序な店で食事をしないといけない事もあり、疲労感が酷いことになる。逆に考えて分析すると、自分にとって居心地がいい店(気にするか気にしないかだけの問題で他の人にとってもそうだとは思うけども)はやっぱり自分の体質・特性にあった店だということで、自分の感性ってやつは信じてもいいんだなと思う。
営業時代は打合せ時間に間に合わない。資料を忘れる。引き取るものを忘れる。納品伝票を忘れる。売上計上表の細かい数値が全然合わない(細かい誤差の出る要素を忘れている)など、特性全開で七転八倒の酷い有様だった。反面、新しい会社の開拓や、工場の見学を兼ねてのモノづくりの技術の知識の吸収やそれを活かした営業活動、データベースの作成のような自分が面白い、興味があると思って力を注いだ点については未だに役に立っているらしく、前職にあまりいい思い出が無い自分にとっては少し複雑な心境だ。
今振り返ってみても営業という仕事は自分が望めば新しい世界や知識を見て学んで経験できる仕事で、それはとても刺激的で楽しかったのだけれど、ボロクロに怒られて一人で営業車を走らせていて常に思っていたのは「誰かサポートしてくれる相方的な人がいれば」ということだった。実際、自分が転籍することになる前の半年ほどの期間は後輩と同行していたのだけれど、その時は自分の抜けている部分のフォローが入るのでミスも減ったし、仕事がしやすかった記憶がある。
自分がADHDだということについて、それを全面に押し出して特別扱いして貰おうだとか、甘えようといった気持ちはあまり持っていないのだけれど、ここまでに書いたような自分の経験上から、自分がADHDであることと、そうカテゴライズされた人にあてはまるといわれるその特性、そして実際に自分が生きてきて感じる違和感や足りない感覚や過剰に反応してしまうこと、頑張れない原因などはやはり結びつくことが多い。知識ベースだ、机上の空論で誰にでも当てはまるものだとは言われるかもしれないけれども自分の感性は決して蔑ろにしていいものではなく素直に受け入れるべきもので、また、Webなどで得られる情報でその特徴や欠点を補う対策などを知識に出来る以上は、理解したうえでどう振る舞って生きて行くのかを選択するのがベターなように感じる。
「〇〇さんはこのままだと一生フラフラしたまんまなんですよ」「誰か目上の人がガツンと言ってあげないと変わらないんですよ」「後輩から言っただけじゃジャブにしかならなくて変わってくれないんですよ」「このままだと不幸になっちゃいますよ」忘年会で前職の後輩から言われた言葉。
その通りなんだよ。よく見ていると思う。世の中他人にそこまで関心を持って助言できる人ってなかなかいないと思う。それは立派な能力だよ。でも自分はこうやってしか生きて行けないんだよ。どうやら周りの人みたいに上手く生きていけていない事も自覚してる。でもなんとか前向きに自分の武器を増やして戦っていくしかない。出来る事はやっていくしかないと思う。