私は“抱え込み自爆系”

田中
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公開:2024/4/4

毎回、「こういう文体で書きたいな」と思って口調を決めるのですが、今回の話は最近よく書いてる文体じゃなくいきたいなと思ったので、話し言葉に近い文体でいきますね。これからも話の内容やその時の気持ちで文体は変わるの思うので、「あ、今日はそのタイプでいくのね」と感じ取ってもらえたらと思います。

今日YouTubeを見てたら、この動画がおすすめに出てきました。

先日、怒り方の話を超長文で書いた時、相手の嫌な部分を言えないうちに嫌いになってる、自分の気持ちを伝えるのが苦手、という話もしたので、『抱え込み自爆系』の文字に「私やんwww」と動画を見てみました。あげられてる特徴も当てはまるものばかりで、「これって普通じゃないんだ」「他の人はこれ思ってないんだ」「わかるわかる」と見てました。心当たりのある方はぜひ見てみてください。

で、私が今回ここに書き留めたいと思ったのは、一つだけ引っかかる部分があって、原因追求をしたかったからです。(動画批判ではなく、私の場合はどうなのかの掘り下げをしたいという話です。) 書き始めた今はまだ追求できてないので、書きながら見つかるといいなと思ってます。

『自分より他者優先に考えすぎるところがある』という話から、動画主さんは他者優先の思考になった人の理由の一つをあげてます。幼少期に両親の仲が良くなかったとか、家族の誰かが病弱で家族全員がその人に目を向けることが多かったとか、“自分よりも目を向けるべき存在がいた”ことで、じゃあ自分はしっかりしなきゃ、頑張らなきゃ、と、自分以外の人にエネルギーを使う癖がついちゃったからだそうです。なるほど〜と納得する一方で、「私はこれに当てはまらないな」と感じました。両親の仲はずっといいですし、弟含め家族みんな病弱じゃないし、両親は私たち姉弟に分け隔てなく接してくれ、愛を注いでくれました。じゃあ私の場合は何が原因で抱え込み自爆系になったんだろう?と追求したくなったのです。

まず考えた可能性は『子どもの頃に自分・他者優先の塩梅を学ばなかったから』。子どもの頃の私は本当にぼんやり過ごしてました。クラス内の喧嘩に気付いてなかったりととにかく周りを見てなくて、母からは「アンテナが少なくて短いからね」と言われてました。周りを見る、気付く、気にかけるためのアンテナが少なく、さらに短いから気付かないことが多いんだね、と。それが、高校、養成所時代にアンテナが伸び始め、社会人になってさらに増え、私なりにですが周りを気にするようになってきました。そしたら自分の生活範囲内には気にしなきゃいけない事柄がいっぱいあると気付いて、あっちを何とかして、こっちを気にかけて、どうしたらいいかなーと夜考え、その結果、会社の上層部からは部署の潤滑油要員として配属されるようになりました。この過程で一気に他者優先思考が増えたんですね。でも子どもの頃に他者と自分の優先度の塩梅を経験から学ばなかったから、他者優先に全振りしてしまって、自分の気持ちは抱え込み自爆……今のうつ病に至るのかなと考えました。

ここまで考えたところで、いや違うな、と気付きます。理由の一部ではあるけどまだ足りない部分がある。私は幼少期の記憶を思い起こしました。幼稚園生くらいの頃の記憶の断片。大人、特に母に何かを聞かれて、「なんて答えるのが正解なんだろう」「どれを選ぶのが正しいんだろう」と悩む私。「あなたはどれがいいの?」と聞かれているのに正解を探している私は、確実に他者優先思考です。つまりさっき考えた可能性よりもっと前段階に原因があると考えました。

私は今も昔も優柔不断なのですがそれには理由が2つあって、例えばレストランでどれを注文するか悩んでる時は、「全部美味しそうだから」です。“どれも気になったり好きだから1つ選ぶのが難しいパターン”です。友達と遊びに行く場所を決める時も、どっちに行っても楽しそうだから悩んでいます。一方、“どれを選ぶのが正解なのか考えてて悩むパターン”もあります。パッと具体例が出てきませんが、先ほど書いた幼少期の記憶はこっちのパターンです。今でも人と会話してる時この思考で会話してることがあります。無意識に、この人は何を言いたいのかな→じゃあなんて返すのが正解かな、と考えます。自分で言うのもなんですが、だから人に好かれやすいんだろうなと思ってます。欲しい反応や返事をくれるから。まあそれを見透かしたのか、八方美人だと言われたこともありますがw

さて、どうしてこの思考回路になるのか。嫌われたくないから、というのも理由の一つだと思いますが、私が注目したのは『そこに自分の感情がないから』という可能性です。私は自分の感情、何を思ったかがすぐに湧き上がってこないことが多々あります。何かを感じてはいるんだけど即座に心の中には現れなくて、少し後からじわじわ現れてくることがあります。また、「思考はしてるけど感情は動いてないな?」という時もあるのです。例えば、相手が「今日食べたパン美味しかったんだ」って言ったら、「どういうパン?」「どこで買ったの?」「どんな味だった?」「なんで買ってみようと思ったの?」と質問はたくさん出てきますが、相手の発言を聞いて心は何も動いてない、という感じです。興味があるから質問してるので「興味」という感情はあるとも言えますが、嬉しい、悲しい、羨ましいなどの気持ちによって心が上下に波打っているかと聞かれたらNOです。水面に例えると、ポチャンと物が落ちてきたらたっぷりの水で受け止めるけど波紋は広がってない状態。自分の中に返答がない→じゃあ相手から返答を見つけよう→正解を探す、というメカニズムができてるのではと考察しました。

私はよく明るいとか優しいとか言われますが、そんなことないと再確認しました。感情動いてないから適切な言葉を選んで返してる人のどこが優しいんだろうか。

さすがに「嫌われたくない」という感情が揺れ動きまくってるので注釈すると、まず、友達の場合はこの人と話したいという気持ちがあるから話してるよ、は伝えたいです。そして友達と話してる時は「楽しい」という感情が常にあるよ、というのも伝えたいです。また、ここ数年は友達との付き合い方とか自分の感情のあり方が変わってきたので、友達と話す時は結構感情のままに話せるようになってます。自分の感情を出していいんだなと思えるようになってきて、そう思えたのは今仲良くしてもらってる人達のおかげなので、ありがとうの気持ちでいっぱいなのです……!

………挽回できたかな。

話を戻します。序盤で、私はぼんやり生きてきた、と書きました。大人になっていろいろ変化した部分もありますが、根本は変わってません。ぼんやり生きてるし、私の中の時間はゆっくり流れています。何事もゆっくりなのです。だから感情もゆっくり湧き上がってくることが多々あるのかなと思いました。悪いことではないけど、不便なことは多いです。でもこれが私だからこのままいくしかないんですよね。

もう1つの可能性として、私が軽いHSPだろうということがあげられます。HSPとは「繊細さん」とも呼ばれ、敏感で気にしい、傷つきやすいなど、生まれつき感受性の高い人を指す言葉です。病院で診断を受けるというものではないので自己判断ですが、特徴を調べると当てはまることがいくつかあるので軽度のHSPだろうと判断してます。これは生まれつきなので、先ほどまで考えていたような“原因”はないとも言えます。さらに私の母もHSPなので、HSPの母の言動を見て生き方を学んだ私がさらにHSPの思考回路になるのも納得できます。

ここで矛盾点に気付きました。「HSPなら、子どもの頃周りのことに気付かず、アンテナが少なく短いと言われたのはおかしいのでは?」生まれつきなら子どもの頃からHSPのはずで、周りのことによく気付いてたはずです。

これに関しては、『アンテナが少なく短かったから』が答えなのかなと今のところ考えてます。HSPの人が生きやすくする方法のひとつに、情報を遮断する、というのがあります。例えば、悲しいニュースを見ると感情移入して辛い人はニュースを見るのを辞めよう、という感じ。アンテナで例えると、受信範囲を日本全国にする(ニュースを見る)と辛いなら、アンテナを短くしたり向きを変えて地方ローカルのみを受信しよう、ということです。多分私は素でこれをやってた為に、クラス内の喧嘩に気付かない代わりに心の平和を得ていたのだと思います。素でやれてたのは多分、水瓶座やB型の特徴であるマイペースが理由なんじゃないかな。でもHSPであることに変わりはないので、アンテナ受信内にいる人(目の前の話し相手)のことは気にしてしまって、敏感に読み取ろうとしてしまって、「正解を見つける」という返事の仕方になってたんじゃないかな。

HSPが原因の場合、私が『抱え込み自爆系』にならないためには、アンテナの長さ・本数・向きを調節する、無理して増やさないこと、が大事なんだろうと思います。

ここまで思考してきて、原因があるかもしれない、ないかもしれない、という1番中途半端な結果になりました。でもこれは今日知って今日考え始めたことで、31年間の人生をたった1日で追求しきれるわけがないのです。動画でも「結果じゃなく過程を見る」と言ってました。今日ここまで考えられたことが大事なのです。

今日がスタートです。ここからさらに考え続けていこうと思います。ふとした時に気付くこともありますから。また気付いたことがあったら書き留めるかもしれません。スタートさせてくれたこの動画には、感謝の気持ちでいっぱいです。

@sakatanaka
だらだら言葉を並べるのが好きな人が書くメモ書き