嫌いの日

オバマサキ
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 嫌いの感情で結びつこうとする動物的本能は幼少期の発作だろう。

あの子がイヤなの、え、あなたもイヤなの? やっぱりイヤだよね。だって、何だかちょっぴり鼻につくの。おかしいの。変なの。わたしから見たら。最近話をしたわけでもないけれど、だって、何だかイヤだから。え、聞こえちゃってった? やっぱりイヤだよね、あなたも。みんなイヤなんだって、本人は気づいていないんだろうけれど。だからいいんじゃいなかな、そう伝えた方が。みんなイヤなんでしょう、だから伝えてあげなくちゃ。イヤな雰囲気はみんなイヤでしょう。

 言葉の使い方や思慮が育まれる前。他人の意見にさらさら流されては、ハキハキと話す利発そうな子に頷く。指定の体操着で膝を抱えて一列に座った運動場でまっすぐのラインを乱していないか心配した時代、そう頷いた瞬間が一度はあったはずだと自分自身を振り返る。進学を重ね、年齢と比例するコミュニティーの中で自分の目で人を見て、相手を思い、言動を考え、きちんと対話することの大切さを知っていった。その際に当てがう「自分のものさし」は傲慢ではなく、わたしを尊重すること、相手に敬意を示すことの大前提であり、ものさしを振りかざしてイヤを投げつけるわけはなく、互いを知る確認作業に必要なものだと大人への道すがらに学んだ。

あの子がイヤなの、え、あなたもイヤなの? やっぱりイヤだよね。だって、何だかちょっぴり鼻につくの。おかしいの。変なの。わたしから見たら。最近話をしたわけでもないけれど、だって、何だかイヤだから。え、聞こえちゃってった? やっぱりイヤだよね、あなたも。みんなイヤなんだって、本人は気づいていないんだろうけれど。だからいいんじゃいなかな、そう伝えた方が。みんなイヤなんでしょう、だから伝えてあげなくちゃ。イヤな雰囲気はみんなイヤでしょう。大丈夫。言える立場のわたしが言ってあげるから。

 嫌われている人が可哀相、それもみんなにと周囲を扇動しながら笑う行為を目の当たりにした。業務中、個人的に嫌いな人はいないんですか? と仕事に関する質問の延長線上かのように投げかけてくる人に遭遇した。人間関係に優位性があると信じる人たちは、好き嫌いが相手を蔑む武器になると信じて疑わないらしい。そんなことを文字に起こすあなただって同じ穴の狢と指をさされるのかもしれないけれど。それでも。

 自分で今を見つめ、自分の言葉で相手と会話する大切さを知っている。周りを巻き込むことなく、言葉で正式に伝える術を身につけている。これまで育ててくれて支えてくれた周りに感謝する。イヤだよね、の言葉をかきけす必要も、比較対象もなく、ただただ自分への愛でしっかりと包んでくれたから。