人生で初めて日記帳を買った。
今までは手帳に日記を書いていたり、あるいはnotionというツールに毎日ログを残していた時期はそこに一言日記を残したりしていたが、紙の日記を買ったのは実は初めてだ。
購入したのは先輩が「きっと気にいると思う」と教えてくれた学芸大学駅近くの『SUNNY BOY BOOKS』という本屋さん。訪れてみたら、なるほどたしかに素敵な雰囲気で、置いてある本やZINEのチョイスも良くて、一緒に訪れた同期と「何か買いたい!」という購買意欲に誘われて、30分くらい滞在した気がする。
場所の魔力とはすごいもので、普通の街の書店ならさらっと立ち読みしてスルーしてしまうような本でも気になってしまうのだ。きっと「この素敵な場所の何かを持ち帰りたい」という気持ちがあるのかもしれない。
SUNNY BOY BOOKSには人文系の書籍から、アーティストのZINEや写真集、絵本などもあって、どうやらカルチャーに高いアンテナを張っている人に向けて選書されているようだった。私も最初はアーティストがおそらく個人出版で作ったであろう冊子や、日本の古典文学の文庫本などを手に取っていたのだが、最終的に「あ、これかもしれない」と直感を感じて手に取ったのが、10年日記、もとい『10年メモ』だった。
10年メモはnuが2012年から出版している、一冊に10年分の日付と記入欄のある記録帳だ。私は日記として使用しているが、公式サイトには『日記や備忘録など、用途を問わずお使いいただけます。未来の自分や家族への手紙としても。』とあるので、用途は使用者に委ねられているらしい。
なぜ、数ある本の中からこの『10年メモ』を選んだのか。
一つ理由を挙げるとするならば、母の姿だ。私の母は子育てを始めてから(つまり私が生まれてから)、同じように5年単位の日記をつけているようで、よく「〇〇年前の今日は旅行に行っていたんだって!」と話してくれる。当時は正直あまり興味もなかったので、ふ〜ん、くらいに相槌を返していたけれど、それを語るときに母が嬉しそうというか、幸せそうなのが無意識に印象に残っていたのか、本を手に手にとったとき、自然とその姿が浮かんだのだ。
もう一つは「今思っていること、考えていることを残しておいた方がいい」という使命感だ。現在私はパニック障害を患って休職の期間の最中にいる。パタっと仕事をしなくなり、身体も動かない...そんな有り余る時間の中で考えついたのは、「いま私が精神的に落ち込んで、心身の状態を崩しているのは、何か嫌なことや辛いことがあったというよりかは、『どうすればいいか分からない』という漠然とした不安のせいなのではないか」という仮説だ。
漠然とした不安というのは、とても怖いものだ。芥川龍之介は35歳で服毒自殺をした時、その理由を「ぼんやりとした不安」であると、彼の手紙の中に遺した。初めてこれを読んだ時は正直訳がわからない、と思ったものだが、今なら分かる気がする。たとえその正体が枯れ尾花であろうとも、自身の内面に居る幽霊の虚像やその時の感情が消えるわけではない。漠然とした感情、というのは怖いものなのだ。
でも、私はその「ぼんやりとした不安」にも、いま自分が抱えている不調にも負けたくない。そういう思いを抱えていたからこそ、書店で分厚い重厚な装丁のこの本を手にしたとき、「もしかしたらこの日記がいま抱えている不安感、よき手綱になるかも」と直感できたのかもしれない。
漠然とした不安を打破するための、漠然とした直感で選んだ日記。
「これをください」と渡したレジで、店員さんが「これが最後の一冊ですよ、良かったですね」と声をかけてくれたとき、なんだかこの本が私にとってのラッキーアイテムになったような気がする。