私が子どもの頃には、「自閉スペクトラム症」なんていう病名はなかった。なんなら、自閉症という言葉自体がなかった。そういう子がいても、ただ「おしゃべりが下手な子」という認識だった。
だから当然、母も兄のことをそういう「ちょっと違う子」だとは思ってもいなかったに違いない。
一人目長男っ子だった兄だから、母は当然のごとくどんなことでも世話を焼いたし、茶碗の上げ下げすらさせたことがなかった。母の世代は「男子厨房に立ち入らず」の考え方がある上に、母の父や兄は家事をしない&興味がない人だったので、「男とは家事をしないもの」という先入観もあったのだろう。
父に至っては、自身も長男の長男として大事大事に育てられたものだから、「男は世話を焼かれるもの」という先入観があっただろう。
つまり、両親から世話を焼かれる生活を肯定されっぱなしの人生だった兄は、長い学生生活を終えて、会社員生活をするために遠方で一人暮らしをするまで、「自分で自分の世話を焼く」生活をしたことがなかった。
このことも、兄がスペクトラムだと発見させる機会を逃した原因なのだろう。
私は母にも、兄が「自閉スペクトラム症」という特質持ちではないかという話は、ちょいちょいしている。けれど母は私の話を否定はしないけれど、積極的に受け入れてもいないだろうな、という態度であった。
けど、母の気持ちもわからなくもないのだ。
「自閉スペクトラム症」とは、症状が重たかったら施設の御世話になることもあるし、そういう話題は新聞を読めば目にする。そうやって「自閉スペクトラム症」という特性が当たり前の社会で育った現代の親ならば、我が子をみていて「あれ、もしかして……?」という気付きが現れるだろう。
けれど母は兄のことでそういう情報が皆無の中で、兄が五十路のオッサンになるまで見守ったし、そんな我が子が、誤解を恐れずにいえば「普通とは違う障がい者である」と想像したこともないだろう。
だから母は、私の愚痴を聞き流しているだけで、私の言葉を真実だと思って聞いていないのだ。その証拠に、私の話への相槌は「男ってそういうものだ」となる。いや、自閉スペクトラム症に男だ女だはないと思うよ?人数の割合の大小はあるかもだけれど。
ややこしいのは、父も母の兄も今にして思えばスペクトラム傾向の人なので、母の身近な男と言う意味では、母の意見は合っているところだろう。
こんな風に、兄に関して母と話が合うことはない。けれど、私は母と仲が悪いわけではなく、むしろ仲良し母娘の方だと思う。
そんな私の理解者だと思っている母でも、兄のスペクトラムについては話が通じない。つまり、家庭内で私のカサンドラの気持ちを理解してくれる人はいない。
これは、なかなかに孤独だ。
私も兄が赤の他人だったら、どんなことでも「そうね~」と優しく接することができる。家族だからこそのカサンドラなのに。家族だからこそ、カサンドラを受け入れてもらえない。
そうやって孤独を心で飼い慣らしていると、やがて孤独が心を蝕んでいく。
だから孤独に慣れてしまわないように、こうやって「私は辛いんだよ!」と吐き出すのだ。
誰かが受け止めてくれていると信じて。
さあ、叫ぼう。
私だって、幸せハッピーに暮らしたい~!