春や秋は、気候が毎日コロコロ変わる。
だから毎日天気予報をチェックして、朝がどのくらい冷えるのかとか、日中はどのくらいの服装がいいのかとか、夜中に蒸すのかとか、そういう色々を考えて、服装や布団を調節しなければならない。
これを怠れば、よほど健康に自信がある人でなければ、風邪っぴき一直線である。
私は健康に全く自信がない人なので、できれば身近に風邪っぴきを存在させていたくない。
けどここに立ちはだかるのが、スペクトラム人こと兄である。
「想像力」は結構生活全般で必要なもの
兄は全般的に「想像する」という行為が苦手だ。
その想像力を意外と使う行為が「衣替え」なのだが、これが大の苦手。
不必要だと判断した服やら布団を仕舞う時は、一気に全部仕舞ってしまい、冷えが戻って寒い時はひたすら我慢して過ごし、そして風邪をひく。
こうなってしまう原因が「想像力の欠如」、もっといえば「未来予測の不得意さ」である。
兄は未来予測での行動ができないので、過去の情報統計でしか動けず、「ここのところずっと暖かい、よし冬物は仕舞おう!」と考え、一方で「この後冷えることもあるかもしれないから、冬物を少し残しておこう」ができない。
これを防ぐには、母やら私やらが「明日は朝方寒いから布団を暖かくしておけ!」としつこく言い続ける。
言い続けることで「過去情報」となり、兄の脳ミソにインプットされるというわけだ。
そして風邪をひいてしまったとしても、「俺はアレルギー鼻炎持ちなんだよ!」という主張をして、風邪ではないから迷惑をかけていないと言い張る。
これはおそらく、意地を張っているわけではなく、自身の体調予測ができていないせいだ。
これも、ある種の予測行動の苦手さ故だろう。
ちなみに、兄は一度検査をして花粉症は症状が出るかどうか微妙な程度の数値だったのだが、それでも「花粉症」と言い張るので、正直面倒になる。
兄はいつでも誰かに保証してもらえた結果情報のみで行動するから、「風邪かもしれない」という予測の上に成り立つ今は存在しないのだ。
誰がどう見ても風邪としか考えられない事態にならないと、風邪と認めないのだから、「風邪薬ちょうだい」と言ってきた時には、既に風邪薬でなんとかなる状態は越えていることが大抵である。
病院嫌いも、未来予測の不得意さ故
ここまで兄が「風邪じゃない」と言い張るのは、ひとえに病院に行くのが嫌いだからだ。そして何故病院に行きたがらないのかも、未来予測の観点から導き出すことができる。
病院に行くと、症状によってされることが変わる。すなわち、行き先が同じ病院であっても、都度なにをされるのかは不明な点が多いわけだ。
ある時は注射をされるかもしれないし、ある時は薬を出されるだけかもしれないし、ある時は胃カメラを飲むかもしれない。
急に選択肢を提示されることも苦手なら、その場でそれを選ぶのも苦手。急になにかを求められることが大嫌いなのが兄である。
他にも、貯金計画もできないし、会話相手の気持ちを察することもできない。
貯金は未来の生活を計画立てて、どんな時にいくら必要かを計算する作業である。兄はこの「未来の生活を計画立てる」ことができない。何故なら彼の人生は、永遠に昨日を繰り返すだけの時間であるはずだからだ。
会話相手の気持ちを察することも、兄に理解できるのは自分の気持ちだけであり、自分とは違う性質の誰かがいるということを大前提として生きてはいない。だから自分が感じたのと同じ感情を抱くはずだとしか考えない。
諦めも必要
そんな兄と嫌でも今後の人生を付き合っていくのなら、自分の人生を兄に振り回されることなく防衛するために、兄の分まで未来の生活の計画を立ててやる必要が出てくる。
つまり、年金やらNISAやらを考えるのは私ということだ。
けれど兄にこうした貯金を知られると、必要な時が来る前にあっという間に使ってしまうことはわかっているので、私の名前で貯金をして、年金だって兄の名義だが兄が管理していない銀行口座での管理である。
NISAも私がかけているのをある程度の割合分を分けるようにしてある。最近NISAが積み立てと一般を同時に扱えるようになったので、それで私と兄とで用途分けすることができて、便利になったのだ。
なんで私がここまでするの? と思わなくもないけれど、これも後々兄にお金の面倒をかけられることから逃れるためだ。
「全ては自分のため」そう思わないとやっていられないのが正直な所だけれども。