細々とか訥々とか、ひとつことをていねいに続けていくことが昔から不得手なわたしだ。とにかく目についたものに片端から手を出さずにはいられず、常に新しいことを思いついては始めてきた。
それでいて広げた風呂敷をたたむことは、これまたどうしようもなく不得手で一切しないものだから、気づけば皺の寄った大量の風呂敷の海の中で、ありもしない新しい柄の生地を探して、もかもがと踠くだけの滑稽な中年になってしまった。
滑稽なのは仕方ない、それは返せば愛嬌と言って言えなくもない。それでもこのままではどうにもまずい、と思えるようになったから、50を過ぎてこんなものを書いている。
書くことで何か起こるのか、また新たな無駄に終わるのか、それは分からない。けれど、ひとつたたんだら何か書くようにしてみることにした。これは、しばらく自分の様子を見るという、自分のためのちいさなこころみ。