友人が深夜2時にLINEを送ってきた。
そこで、読むことにして、翌日に本屋へ車でいって、買った。
すぐに見つかった。
そこから、夜の時間、カフェ、電車の中。
最後は東京の自宅で、18時ほどから3時間くらいをかけて、
300Pから、終わりまで、読み切った。
後半のアリスのところで、泣いてしまった。
また、誰かの死を迎えるような気持ちにもなり、僕には感じさせるものがあった。
30代にしておきたい17のこと、で親のことも書いていたこともあり、
やはり、今の僕には親の死や病気、できなくなることを想起させた。
僕の感じたことや幸せを受け渡せなくなる、ということが辛いのである。
この話は、どう終わるのだろう、と思って
何度も考えたが、途中、知能がもどるというところで予想はできた。
アルジャーノンは、どう思っていたのだろうか。
何度も壁にぶつけるのは自分の知能が下がり、
その悔しさ、もどかしさがでていたのだろうか。
これは誰もが通る人生の1つの道筋であるのかな、とも思う。
子どもとして、生まれて、子どものようになって還っていく。
その循環に、僕もいるのだと、思う。
だからこそ、今を生きて、思い出を残したいし、しんでいくのである。
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それは、育ててくれた親もそうだ。
そこの苦労や、期待、
どうなってほしい、とは明確になかったとしても、
親は幸せを願ってくれていた。
だからこそ、
年齢を重ねた今、
幸せにむかってほしいし、
こどもは親にしてもらったことを
返していくべきタイミングが存在しているのだと思う。
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僕の中で、旅行に連れて行けたこと。
これは、とてもよかった。
なぜなら、僕が人生でしたことで
大きな出来事だったから。
そして、それをもっと伝えないといけないな、とも思う。
何をみて、何を経験して、かえってきたのか。
ああ、旅の途中で、もっと写真や、出来事を、送っておけばよかったな。
なぜなら、子どもがどういうことを通じて
何を感じてきたのか、
知ることはうれしいことなのではないかな、と思うからだ。
追記
この先、どうなったのだろう。
終わりは、幸せは?
と、その全てを知りたくなってしまう。
でも、人生でも全てを知り得ることはない。相手が、何を考えてるのか、自分以外は、わからない。
そして、いつか死はやってくる。いつ、どのタイミングか、わからない。
人生の波の中で、「忘れなくない瞬間」や「大切な人」がいるのは、素敵なことだなと思う。そういう偶然が、誰にでも、あるのだと思わされる。