「滅びるね」

samasama920
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公開:2025/9/5

※2025年1月4日 note投稿を移しました

もうすぐ消滅するという人間の翻訳について こちらのnoteがぐっさり刺さって圧倒され、ねえみんな、どう思った?とSNSで検索し、とあるご意見に行き会った時に受けた衝撃をどう表現したらいいか私には分からない。

「冗長な記事すぎるので、AIに要約してもらった」

文章を読解するのにAIを使う。これは顔出しZoom会議にアバターで参加する、に匹敵する、いや、それ以上の衝撃だった。 文章を理解しようとする努力は、人間を理解しようとする努力だ。そこをAIに任せてしまったら、一体私達に何が残るのだろう。

Blue Skyにも書いたけど、平野さんのこの文章は意図的に難解で、ある意味冗長だ。頭の中に浮かぶ様々な「言いたいこと」を、あえて文体を変え、まるで螺旋階段のように積み上げていく。それは機械翻訳を拒否する、言葉でできた爆弾のようにも思える。エッセイのように始まり、日記のように展開し、論説文と論考を経て、最後は詩で終わる。詩。死。 その文と文のあいだに見える諦観と、乾燥した薄ら寒さを”感じる”ことができるのは人間だけで、だからこそ、その”感じたもの”を自分の言語に翻訳できるのは人間だけなのに。 そのとらえ難さを、その意味わからなさを ”理解” し ”感じ” て ”自分の言葉に置換” することすらを機械に任せた成れの果ては、蓋し荒野に思えるけれど、それともそれは、私がまだ知らないユートピアなんだろうか。


あらゆる意味において展開される貧困の前に、機械翻訳の進化はもはや副次的なファクターに過ぎない。

平野暁人「もうすぐ消滅するという人間の翻訳について」


私達は貧しくなる。選択し、発展的に貧しくなる。夏目漱石が100年以上前に「滅びるね」とあっけらかん予想した通り、私達はまさに皮相上滑りの開化の果てに、積み上げてきたものをすべてゼロにして「滅び」るのかもしれない。

滅びるってなんだ。 死ぬとは違うんだ。 滅びた後のガランドウを統べるその生物は、全くなんと呼ばれるのだろうな。