2月14日はバレンタインデー。一般的には愛情を伝えるなら女性から男性だが、逆に男性から女性に伝えても良かろう。
という訳で、妻への愛を紡ぎたい。もちろん、ノロケ話になるが、ご容赦願いたい。
私が妻を愛している理由。
それは、素の私もひっくるめて私を受け容れてくれる唯一の私の理解者であり、私にとって一番魅力的な女性だから。
前者について語る。
気の置けない仲良い親友は居るし、お互いに悩みを打ち明け合う友も居るが、そういう友が相手でも、やはり「よそ行きの顔」をしてしまうのは否定し難い。
そんな「よそ行きの顔」をも外した素の私は、本当に味気ない。一緒にいても楽しさなんて皆無に等しい。何より、互いに沈黙している雰囲気はどこかよどんでいる。そう自覚している。外形的なスペックなんぞは何の意味も成さない。スペックが高いのか低いのか知らんけど。
いわゆる「トラウマ」がある。沈黙のよどみを嫌がられ、コミュニケーションが上手く取れなくて当時の彼女から別れを告げられた経験だ。この失恋を経験し、私は、恋愛自体を諦めた。素の私を真っ向から否定された。もう私を受け容れてくれる女性なんて現れやしない、と確信した。
その確信を、いとも簡単に打ち砕き、私を受け容れてくれた唯一の人。それが妻だった。沈黙しても雰囲気がよどまない。むしろ、会話していようが、沈黙していようが変わらず心地良い。この心地良さが、恋愛を諦め凍り付いていた私の心に温もりをもたらした。奇跡以外の何物でもない。
その後も、温もりある灯火が完全に消えることはなく、私の心を照らし続けている。それが今でも不思議でならない。本当に夫が私で良いのか?と思うことが時々ある。先に述べた「トラウマ」は、まだ癒えておらず、癒える見込みもない。
なお、「妻が私を受け容れてくれているから」という受け身的な理由に終始しているが、妻の魅力を語り始めるとノロケが過ぎるので(苦笑)、割愛。
最後に私と妻の関係を一番言い当てている台詞で終える(出典『るろうに剣心』)。
「コイツは誰より俺を理解し、俺は誰よりもコイツを理解している」
【了】