絵日記3日目。毎日やっていたら死ぬ……。
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橋川文三『日本浪漫派批判序説』冒頭を読む。
そもそも日本浪漫派を知らないので「批判」から読むこととなる(井口時男「解説」にも同様の文が載っていた)。
戦争を肯定し、美術的に賛美することで「戦争に加担する」というよりは「文化的高揚を持って戦争に人々を駆り立てた」といえる、戦時下の一部の芸術家たちの話は、それこそ詩歌から画家、そして作家までに広がる話だ。『月に吠えらんねえ』から藤田嗣治まで。
『黒衣の短歌史』ではそんな詩歌の協力者が「コミカルな文体で」批判されているし、『日本浪漫派批判序説』でも整理された言葉で……あるいは整理"されすぎた"ともいえる言葉で解題されている。多いに頷けるところはあるのだけれど、そのコミカルな文章での批判がもたらすスカッと感に保留のピンを押したのは『〈民主〉と〈愛国〉』の冒頭を読んだ時の話だ。
それは作家たちがいかに協力体制に「自主的に志願して」協力していったか、の論考だった。戦争に協力すれば兵役が免除されるかもしれなかった。逆を言えば政府や軍に楯突けば従軍作家となることになった。あるいは誰かを密告すれば体制へのアピールになったし、自身はそういったことに消極的であろうが隣の作家がそのポイント稼ぎに積極的かもしれない。反戦を訴え、牢にぶち込まれておけばそれこそ「文学者」であったろうが、肺を病むことが多い時代、それは死に直結した。あるいは拷問死か。ひたすら体制を褒めて、文学をもっておべっかを使った。同朋たちの互いへの不信、愛する言葉を使って媚びた恥辱。敗戦後、それぞれが自身の中で未だ整理され得ない感情と失意を抱えて生きていたか、それを整理することもなく恥ずることもなく生きていたはずだった。
が、そんな生すら断たれた人々がいた。戦争賛美の文学、「おべっか」に高揚して戦場へと向かった青年たちである。日本浪漫派の洗礼を受けた青年たちは万葉集を持ち戦場へ行ったという。なぜ万葉集なのか、文明化、脱亜入欧、西欧化、明治以来の70年、追いつけ追い越せでやってきた日本の太平洋の戦場の果てによすがとしてあったその日本古典に込められた精神の解題として『日本浪漫派批判序説』はある。
この辺は『ねじ曲げられた桜』にも通ずると思った。半ばには農本主義も出てくるので期待している。