2025年7月

samuinight
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公開:2025/8/4

・バイトを辞めていっぱい勉強することにした

月のはじめにバイトを辞めたい旨を店長に伝えて、8月で退職することになった。これで本当の無職になるわけだが、高校を卒業してから何度もただの無職期間を過ごしているので特に無職になることに対する感情はない。無職を何度も経験して思うのが、たぶん私は無職が向いていない。無職から大学生になったときの楽しさにはびっくりした。大変なのも忙しいのも嫌だけれど、人から与えられるほどほどの締め切りは必要なタイプの人間らしい。一方でいわゆるフルタイム労働は忙しすぎるとも思うので、人間ちょうどいい塩梅で生きられないんですか?と強く思う。無理なのだろうか。

今年の3月に大学を卒業してから資格の勉強を始めたのだが、来年度の試験で合格が最善ということで勉強に専念したいというのが理由。本当はもっと前から勉強するべきで、大学1年生の時に手をつけてはいたのだけれど、大学の勉強との両立が私には不可能だった。人生テーマが「無理はしない」なので、二年次の大学の成績がめちゃくちゃになったことをきっかけにとりあえず放置していた。(ただの挫折ともいえる)

大学生とかフルタイム社会人で勉強両立している人も普通にいるので、大学との両立が自分もできるはずとうっかり思ってしまったが、まったくそんなことはなかった。大学には勉強したくて入ったので、大学生活をやりたいようにできないは夜中に泣いてしまうくらい辛かった。だからといってめちゃくちゃ勉強したわけでもないのだが……。私の理想の学生生活というのが時間を気にせずに図書館にいたいとかなので、そりゃあ両立はできない。できている人は結局友達頼りとか留年覚悟とか試験一発で単位がもらえる授業を詰め込むみたいな人が多く、そんなの大学に入った意味がない!私の思う大学生活ではない!!となる私には無理だった。

他人と同じようにできなかったからといって、落ち込む必要は全くないのだということをここ数年でやっと飲み込めるようになった気がする。長い人生のなかで目標を持つこと、それの達成のためにある程度の計画性を持つことは人生の楽しみ方のひとつだけれど、自分がどれだけ頑張れるのかをちゃんと見極めることを同時にしないといけないのだなとしみじみ。とりあえず勉強頑張ろうと思う。資格受かりたいな~。もしも受かったらそのまま週5日8時間勤務どころじゃない激務+余暇時間で生涯勉強してアップデートし続ける人生が待っているらしいが。

・ムーミン展にいきたい

六本木でやっている「トーベとムーミン展」に行きたい。というか幼馴染と7月中に行く約束をしていたのだが、直前に相手が熱中症でダウンしてしまい8月に延期になってしまった。

ムーミンシリーズにはまったのは3年前くらいで、トーベ・ヤンソンのマイノリティ性を知ったところから興味を持ったのがはじまり。そこからはずっとムーミンの”顔ファン”という感じで、パペット映画の『ムーミン谷の彗星』とかムーミンバレーパークでやっているショーは見たけれど小説は積読になっていた。今回のムーミン展はいい機会なので小説を全部読んでから行こうとバイトの休憩時間にちまちま読んでいる。最後から二番目に出版された『ムーミンパパ海へいく』の半分くらいまで来た。ムーミン展に行くまでには全部読みたい。おいおい感想をまとめられたらなと思うが、たぶんやらない気がする。

・『多聞さんのおかしなともだち』を読んだ。

トイ・ヨウの『多聞さんのおかしなともだち』を読んだ。単行本が出る少し前にこの作品のことを知ったのだけれど、2025年にフランチェスカ・リア・ブロックの話をする漫画が出るの!?と驚いた。私がブロックの本を初めて読んだのは中学か高校の時で、学校の図書館で借りたのが出会いだった。そのときは2014年とかくらいだったので、周りに読んでいる人はいなかったし、そもそも翻訳は全部絶版になっていた。2015年に『”少女神”第9号』がちくま文庫で文庫化されて、すぐに買ったのを今でも覚えている。塾の帰りに乗り換え駅の構内にある本屋さんを見たら棚のところに1冊だけさしてあって、私にはそれが光り輝いて見えた。心臓をドキドキさせながらレジに持って行った。この本はページごとに少しずつ文字の色が変わっていくデザインになっていて、それがすごく好きだ。そんな素敵な綺麗な本を自分のものにできることがとにかくうれしかった。本棚から3冊選んでと言われたら絶対に入れると思う。

とにかくそのくらいこの本には思い入れがあるのだけれど、それが話の中心になるような漫画が出るなんて絶対に読まないといけないと思った。そして、期待を裏切らない素敵な漫画だった。

私は自分について特に定義しないでやらせてもらっているのだが、そういう風に生きているのは、自分でも自分のことを明確に説明することができないというのが大きい。突き詰めて考えたら分かるのかもしれないし、頑張って調べたら正確なジェンダーなりセクシュアリティの名前を見つけることも可能なのかもなとは思う。なんかいっぱいあるみたいだし、勝手に作ってもいいし。でも、別に私はそれを求めていないし、普通に面倒くさいのでやらないで放置している。普通のシスヘテロではないな~で終わり。面倒くさいので。

でも自分に名前をつけないでいるとこの世界の中ではいないものにされてしまう。いるのにな。名前があっても少数派ならば無視されるこの世界で、何者でもないままいるというのはなかなかにハードだ。

でも名前って本当に必要なのだろうか。名前は他のものと区別するためという機能があって、シスヘテロ以外の何かを名乗ることは私は”普通”とは違うという主張が自動的に乗っかってきてしまう。それ自体は必要な場面があるので、完全に必要ないとは思わないけれど私個人の生活を考えるとやっぱりこれっていらないよなーと思う。私自身は私=私として生きているわけで、今のところ自分のために自分に説明をつける必要性を感じないし、そういうことを考える意味もあんまりないと思う。他人と何かパートナーシップ関係を築きたいなら少しは考える必要もあるかもしれないけど、今のところはそういうのもないし。内日さんも結局周りからの要求が根っこにあるから自分自分やパートナーとの関係性について悩んでいて、私も悩むというか必要性を感じることになるならばその発端になるのは周りの人々だ。本当に他人があるから自分がいるんだよな〜と思う。ああ、哲学やりたい。

友達から恋バナの中心にされて誰もが”普通の恋愛”をする前提で話をすすめられてすごく面倒くさかったことがあるのだが、ここで私はレズビアンだからとかバイセクシュアルだからとアロマンティックだからとかきっぱり言えたら楽なのにな~と強く思った。でもこのあたり自分でもよくわかんないわけで。だけど大学の食堂で自分のこういうことについてつらつら並べ立ててそこから討論会やろうみたいな気にもならないというか、そもそも他人と話してどうこうしたいみたいな気持ちはないから今は興味ないで終わりにしたけど。でも終わりにしようとしても相手が「いや!良い相手に出会ってないだけだよ!」とか言い出すのあれ本当になんなんだ。運命的な出会いをしてそこからするすると恋愛みたいな商業BL漫画はめちゃくちゃ読んでるし楽しんでいるけれど、だからといって別に運命の相手を待ち望んでいるわけではない。

なんか話がめちゃくちゃ脱線しかしていないし、漫画の中身にも全然触れていないけれど私はこんな感じなので、こういう曖昧な存在であることを自分自身はある程度受け入れているけれど、外の世界にはそれを許されていないような気がする、という苦しさを表現している漫画が読めたことがうれしかった。

自分のことがよくわからない人はいっぱいいると思うし、悩んでいる過程にいる人もいっぱいいるはずで、物語はそういうものに寄り添ってくれるのだなと思う。自分とは全く違うけれど、どこか同じに思える人生を物語を通して体験することは救いになる。記号的な説明だけでは説明しきれない曖昧さが人間にはあるからこそ物語が必要なんじゃないか。そして、『多聞さんのおかしなともだち』はそんな物語の1つになっていると思った。色んな人に読んでほしい!と思って、友達用アカウントのインスタストーリーズ久しぶりに更新した。

・ランニングを始めたい

バイトを辞めて家にこもるので運動不足にならないようにランニングを始めたい。アウトレットに行く機会があったので、シューズ、ウェア上下、スポブラを揃えた。チャック付きのポケットとかいろいろついてるラン用のショートパンツを買ったんだけどハードに動いたらなんかパンツが見えそうなので、バイカーパンツも後からZOZOTOWNで買った。まだ届いていない。初期費用になんだかんだ17,000円くらいかかってしまったのでちゃんと走ってほしい。あと「ランニング 初期費用」で検索すると「ランニングコスト」という単語の説明がいっぱい出てきて確かにね!?となった。

この時期に走るなら5時には起きないとという感じなので、そこが一番の難関だと思う。5時に起きるなら22時には寝ないといけない。健康になりたい。

・犬がかわいい

飼っている犬がかわいい。