・手紙を読む声が徐々に差出人の声に変わっていく演出って、どう考えても良くないのになんで定番化するに至ったんだろう。受け取った人、あるいは代読する人の声が淡々と読み上げるほうが良いに決まってるのに。
・普通だとナシな文章をアリにしてしまう。川端康成と江國香織の共通点。
・江國香織の文章が綺麗と言われるのは、川端がそう言われるのとすごく似た事態のように思う。ああいう文章に綺麗という評価はあたらないはず。三島由紀夫が川端について言ったように(そして江國も同様に)、文体がない。いや、描写がない。
・空気の質なり、時間の幅とでも言うべきものの表出は、描写だけが担うのではないということ。空気を発散する「話」というものがある。肉付けではなく、骨組みそれ自体が空気を発散する時、文は骨組みの叙述に徹するしかない。
・言語表現の本領が、心理の描写ではなく、設定である可能性。設定が極めてクリアに見える、設定が含む味わいを純に伝達しうる表現方法は言語をおいて他にないのではないか。もしかしたら、写真よりも。
・生活のなかで、ある場に漂う空気を肌に感じながら、これは読んだアレに似てる、というふうに思い出すことの一番多い作家は、自分にとってはカーヴァーだ。「話」の空気。