朝、散歩をしていたら、私がいるところから少し先の横断歩道で、女子高生が自転車ごと転んでいた。あっと思って見ていると、通りがかりの大人たちが駆け寄って、自転車を歩道に移したり、女の子を囲んで心配そうに声をかけている。その集まり方が尋常ではなかったので、バイクと接触して逃げられでもしたのかもしれない。私は、なにを考えていたかは思い出せないけどとにかく考え事をしていて上の空だったのか、視界はそちらのほうを向いていたけれど、転んだ瞬間を見ていなかった。
私がそこまで来た時にはもうたくさんの大人がまるで赤ちゃんをあやすような手厚さで女の子を労っており、彼女も少し恥ずかしそうなぐらいだった。もう私に残された配役はなかった。
通り過ぎてから、いや、配役なんていくらでも作れたか、と思い至った。たとえば「いま転んだことで君は今日起こる悲劇を回避したんだ。200回目にしてようやく成功だ!」などと言って未来からの使者を演じても良かった。もちろん全員から無視されて終わっただろうが、路上ににわかに立ち上がった善意の空間に小さな不可解の滴を落としたら愉快だっただろうに。
そんなことを想像しつつ、帰宅してコンビニで買ったパンを食べた。小さいパンが三つ入ってるものを買ったが、一つしか食べられず、昼に食べようと思って初めて袋止めシールが付いていることに気付いた。袋の綴じ目をつまんで立法的に開けるのではなく、ギザギザのところから水平的に開けてしまったものだからシールが用をなさなくて、この失敗をするのは何度目だろうと思った。