さむい。先週と気温は変わらないはずなのに、確実に今週のほうが風がきびしい。
電車を降りると、冷たい空気に身体がさらされる。太陽はいつもよりまぶしくて、静かだった。14時半の最寄り駅は、ここ数か月見たことない景色だった。すいている。と思った。
今年に入ってからずっと、走っていた。正確に言うと、走るのを決めたのが1月で、走り始めたのが3月、もっと走っていいって決まったのが5月、闇の中に入ったのが8月、走路の周りに人が集まり始めたのが9月だった。先週、ようやくゴールテープを切った。赤い紙吹雪が祝福していた。まぶしすぎるほどのまぶしさにおぼれて、私は僥倖という言葉を忘れた。
すべてが終わったあと、静かに生活は元の形に収まっていく。私の頭の中を埋め尽くしていた赤色の海は、ちょっとずつ引いて行って、もとあった砂地が顔を出している。ざらざらした地面に足の裏でふれたとき、私の髪がふいになびく。
風の音がきこえる。
大混雑していた世界が急にクリアになって、開いた穴々から風と光が差し込んでいる。今まで意識しなかった寒さとか、見えていなかった紅葉、思ったより混んでない駅のホームが、とても鮮やかに私の眼にとびこんでくる。
私が走った走路は、既に別のランニング大会に使われている。私を応援していた人ごみは、次は彼らを支えようと移動する。人の去り行く砂浜から、私はそれを見ている。新しい選手たちのひたいをつたう汗が、かすかにひかっている。
まぶしい。どうしようもなく、まぶしい。
風の音をきいている。あなたがこの音を、さみしいっておもわなくなったこと、こころから祝福している。祝福したくて走ってきた。だけど、いまの私はちがうらしい。ほんとうは、もっと、あの熱い海の中にいたかった。この先の人生ずっと悪いことだらけでもいいって思えるくらい、ありえない幸せ、ありえない量の紙吹雪だった、もう満たされていい、等身大を生きていい、生きようよ、だけどだめなんだ、楽しかった、楽しくてたまらなかった。私がこころざした世界が、私の前に現れてくれて、それを誰かがよろこんでくれて、何かを持ち帰ってくれること、その営みの中にもっと居たい。居ること、望んでくれる人が一人でもいるなら、間違いじゃないって、思ってもいい?
私は、あなたのこと、幸せにできたかな。あなたのこと、ずっとわすれたくない。あなたは私を、どう思ってくれたのかな。あなたがきいた風の音、いつか私もききに行くから、今はもうすこしだけ、熱にとらわれさせてください。