しずかなインターネット

日記やエッセイにちょうどいい
文章書き散らしサービス

ログイン

雑感

sanagi_yuragi
·
公開:2026/9/22

曲がり角から金木犀の香りがして、秋の訪れを知る 毎年私に季節を教えてくれる場所 それも今年が最後になる

20年余りを過ごした場所を、明後日には去る 朝日が昇るのと同時に家を出る 同じ屋根の下で過ごした家族を差し置いて 二人暮らしをはじめる ベランダから小川が見下ろせる、古い2DKにて

大切な人だから周りにあまり言えないでいる しずインを書けなかった理由の1つもそれなのだろうか 胸の中にふくらんでいるあたたかさ 正しく言葉にするすべを見つけられないまま、

ゆっくりと舟がすべり出す

荷造りが進んで、部屋から物が減っていく 何年も同じ空気を一緒に吸ってきた雑貨たち ほとんど私の身体の一部と言っていいはず 身体をもぎ取られて私は、記憶をひとつひとつ消されているみたいな気分になる 私が記憶喪失になりながら働いたりサークルに出たりしていることにまだ誰も気づかない 宙に浮いたような気持ちがする

サークルの新入生たちのまぶしさにあてられる 初めて経験する大学演劇、舞台に立っている最中の彼らは、どの観客よりうっとりと、楽しそうにしていた その眼たちが映す景色をもっと知りたいと思う みんなの情熱にもっと巻き込まれたくなる 公演終了後、敬語で話しかけられて、歳の差がもどかしくなる もう新入生より2つも上の学年になってしまった

サークルの日は大概遅くなる 夜道を歩きながら、柴田聡子さんの『雑感』を聴くのがお気に入りになっている 秋の夜風が、歌詞中の情景と同期して、歩いててもバイクに乗っている気分になる

日常的で飾り気のない歌詞なのに、たしかな力強さがあって、聴いたあとは未来が少し明るく見える 自己効力感という、白くひかる液体が身体じゅうを満たす 記憶喪失でからっぽになっていた身体を

確実に、すべてが変わっていく

半袖の出番が減る 友達が黒髪になる 蘭たんさんのまのさば実況シリーズが終局に差し掛かる

古いバイト先の店長に別れのあいさつをする 新しいバイト先の先輩と徐々に仲良くなる

サークルに新しい代が加入する 後輩に後輩ができる 先輩の就職先が決まる

日の入りが早まる 長雨が降る 金木犀の花が散る

私は旅立つ 親元から そして自分自身から

これから先、何度も、今のことを振り返るだろう 大人になってもずっと 別の道を選べたかもしれない分岐点として 選択は、取り返しのつかない喪失と同義 正しい犠牲だったと思える日など、来ないのかもしれない 失って、傷つけて、身体に空いてしまった穴は、埋まることなどなく、一生抱えて生きていくしかないのかもしれない

でもきっと、大丈夫 ひとりで決めた道じゃないから

正しくなくても、正しくなさを、一緒に背負ってくれるひとがいる あなたがいる

それは正しさなんかよりずっと、いとおしいこと

家が近づき、『雑感』が終わる 最後の音が切れるまでの、たっぷりとした余韻 この幕引きがとても好きだ 夜が明けて、空が晴れていくみたいで

朝が来たら、あたらしい私 いつもの扉を開けて、私はどこへでも行く。

@sanagi_yuragi
ゆらゆらゆらぎ