1/5、13時、外に出ると、昨日までと違う風が吹いている。駅につづく道路は静か。児童館の窓から漏れている、子どもたちの遊ぶ声が、よく響く。通りを歩く人は少なく、みんなしんとしている。昨日まではいろんな人たちが、ちょっと浮いた足どりで歩いていたのに、今日はなんだかとてもおだやか。みんなの活気を吸って膨張していた空気が、やっといつもの温度に戻った感じ。
キタキタキタ!!!!これだよこれ!!!!!!😉😉😉✌✌✌の気持ちで、私は頭の中に今日の散歩ルートを思い描く。
年末年始はとても楽しくなかった。バイト先のカフェがお休みに入り、久々に予定のない連休を獲得したのだが、正直途方に暮れた。好きな喫茶店とか図書館は閉まっちゃうし、カラオケは高すぎるし、街は普段の2倍くらい混んでてざわざわしてて居場所が無い。かといって実家にいると常に身内がおり、お酒をあおりながら紅白と駅伝に出ている若い人たちを一生冷笑している。あと食べたくもないお菓子を無限に買ってきて私に食わせるので顔がおまんじゅうみたいになる。総じて、心の居場所を感じられない日々だった。
唯一楽しかったのは元旦で、この日はちょっと遠い神社に足をのばし、いっぱい歩いた。一緒にいてくれた人のおかげで寒さもあまり感じなかったし、人ごみも思ったよりはげしくなく、とてもうれしい日だった。ただしこの日も街のスイーツを食べ回ったので、顔面はおまんじゅう化するばかりである。
次の年末年始は心おだやかに過ごせる場所にいられたらいいな、と願う。2026年の抱負かもしれない。
眼前にそびえ立つ棚から、気になったタイトルを引き出す。私は今図書館に来ている。お正月の休眠からようやく目覚めてくれた愛しの場所。いや、本当に落ち込んでいるときにはあんまり来たい気持ちになれないんだけど、適度にやる気のある今日みたいな日にはぴったりの場所。
詩を読んでいると、ことばに酔う、みたいな感覚になるときがある。私は詩集を読むとき、ぱっと無造作に本を開いてみたり、ぱらぱらめくってみたりして、目に留まったことばから読み始める、みたいな読み方をする。ときどき、これはと思って開いたページに、いくつもの光が宿っていることがある。複数のピンスポットをじかに見てしまい、私はやられる。頭が急にまんたんになって、くらくらする。理解をする前にことばがとびかかってくる。たぷたぷの水槽に、さらに液体を注がれそうになって、待って! となる。ちょっと頭が痛くなったりもする。この状態が、お酒を飲んでいるときに似ている気がするので、ことばに酔う、と呼んでみている。
お酒に弱い。飲んでも一向に楽しくならない。頭がくらくらするし、だるいし、眠いし、ゆううつな気持ちになる。友達と飲んでいるときはそうでもないのだが、一人で飲むと悪いことしか起こらない。しかしお酒自体は好きだ。お酒の味が好きというより、お酒にこめられた夢とかコンセプトが好き。
お酒の缶とか、お酒売り場の値札に書いてある、解説みたいなものを読んでいると、お酒がまるで魔法のポーションみたいに感じられてくる。読みながら、各ポーションがどんな背景をもっていて、どんな気分をもたらしてくれるものなのか、妄想する時間が楽しい。一人で飲んでも楽しくないとわかっていても飲んじゃうのは、お酒の物語を飲みたいからなんじゃないかと思う。
でも本当に弱いので、缶の半分を過ぎたころから義務みたいになってくる。でろでろになっていく身体、減らないお酒、くらくらする視界。己との闘いである。ハリーに水を飲ませられているダンブルドアの気分で飲む(私の場合べつにハリーはいないので、こんなに苦しむ必要なさすぎる)
封を開けた瞬間と同じ楽しさで最後まで行くことができたらどれだけ幸せだろう。大袋のお菓子を食べているときとか、旅行中とか、長編の映画を観ているときも、同じことを思う。
その点、小説やエッセイは待ってくれるところが好きだ。おいしさが飽和したり、理解を超えちゃったりしたら、一度本を閉じて休むことができる。冷蔵庫に入れて、別の日までとっておくこともできる。私が読むスピードを超えてくることがない、おだやかな娯楽である。
すごい詩の、すごいところは、活字なのに、たまに私を待ってくれないこと。いつもは静かにしているのに、ちょっと触ってみると、ときどき私の理解のスピードを超えて、おそいかかってくる。雪でできた獣みたいな存在。
だから不安なときはちょっと遠ざかってしまうけど、いつもの幸せの方法で幸せを感じられないとき、ふいに目をやってみると、急に光って私を雪目にしてくれることがあるから、楽しい。不思議でいとしい。
今日はちょっといっぱいいっぱいになってしまったので、詩集を閉じ、貸出手続きをする。この光はちょっとずつ味わおうと思う。いつかほろよいレモみかん味の100ml缶が売り出されたらいいなー(不可能)。