好きになりすぎた故の弊害が起こりやすいと思っている。
自分自身、だいぶ完璧主義で、相手にも自分と同じレベルを求めがちだ。
恋愛における相手に対する漠然とした「愛されていないいのではないか」という問いは、自分の自己肯定感の低さから来ていると思っている。
閑話休題。
最近推しているジャンルを推すのが辛くなってきた。
それは映像メディアなんだけど、回を増すごとに想定していた「推し像」と離れて行く。
簡単に言えば解釈違いというやつだ。正確に言えば、予想していたキャラクターの性格と違っていて、自分の好みではなかったというだけなのだが。
正直、登場した当初のキャラクターで終始通してくれたら推せていたんだろうけど、矢張り好みじゃないと知った時の喪失感というか残念だと思う気持ちは拭いきれない。
当初私の推しは仕事もろくに出来ず、同居人に何もかも世話されているような可哀想なキャラクターを想像していた。後述ではAとする。
ビジュアルと相まって疲れ切った性格が合いすぎているなとその時は思っていた。
しかし、回を増すごとに自分の想定していた抜けていた性格ではなく、大切な人を喪ったが、その大切な人と似た顔をした相手に遭遇したことで動揺し、抜けた言動ばかりを繰り返していたと知った。
だから言うなれば私はPTSDで疲れ果てた病状の彼を好きになっていた。
本来の性格はもっと厳格で、正直容姿に合わないなと思ったのが素直な所。
その作品は同性愛を題材にした作品であるために、そのキャラの相手役が出てくる。それをBとする。
正直Bのファーストインプレッションは別に意識にも留めない相手役でしかなかったものの、回を重ねるうちに長年Aに片思いをしていたと知り、その健気さにあやうく推し変しかけたほど。
でも今推せているのはBがAを健気に好いていたから、成就するように応援するという側面でしかそのCPを楽しめなくなっている。
正直メインCPにハマった時はキャラごと愛していたし、他の人に目移りばかりする主人公にハラハラしながらも毎週視聴するのを楽しみにしていた。
でもそれも物事への捉え方が変わった弊害かなとも思う。
昔は思い通りに行かなくても、シナリオライターがそう書いているならそうだよね〜という認識で見ることが出来ていた。
しかし今は自分の解釈を優先し、自分好みの性格でなければ残念に感じるなんてわがままだと思う。
でも理想の推しCPが見られると思ってたら全然そんなことなかった。
一回ハマったからずるずる引きずってるけど、どこかにこの気持ちを置いて楽に暮らしたい。
なんだか書店で見た商業び〜えるの帯に惹かれて買ったけど、全然好みちゃうやんけ!みたいな感想。