日記をつけはじめた

Takahiro Miyoshi
·

日記をつけはじめた。

きっかけは、小川哲『君が手にするはずだった黄金について』 に収録されている短編「三月十日」だった。この短編は「2011年3月11日、東日本大震災当日のことは覚えているが、その前日3月10日のことは覚えていない」という話からはじまる。たしかに、平凡な1日のことなんて覚えていない。

平凡な1日であればそうだが、実のところ、私は2011年3月10日に何をしていたか覚えている。3月11日は、大学入学に向けて一人暮らしの物件を京都で探していた。いい物件はすぐになくなると聞いていたので、合格発表翌日に物件を探したはずだ。ということは、3月10日に合格発表があったということになる。

しかし、合格発表のその瞬間、自分の受験番号を見つけたとき、何を感じたかはもう覚えていない。高校3年生の自分にとって、もっとも重要なできごとの1つであったはずなのに。このことに、少し怖くなった。

現代では、さまざまな事柄が自動で記録されている。メールや SNS にはいろいろな人とのやり取りが残っている。写真や動画はクラウドにアップロードされていていつでも取り出せる。Google マップのタイムラインを見れば、自分がいつどこにいたかわかる。スマートウォッチを使うようになってからは、心拍数や睡眠時間の履歴だってたどれる。しかし、ある1日に何を考え、どう思っていたかは自分の頭の中にしか残っていない。そして、それは進行形で消えていっている。

日記をつけるのは、そうした「考え」や「感情」をバックアップするためだ。これだけはまだ、現代の技術で自動化できない。

日記のつけ方だが、スマホに向かって喋るという方法をとっている。毎日1分程度その日について話すのを Google Pixel のレコーダーアプリで録音する。この方法を取る理由は2つあり、第1の理由はいうまでもなく手軽さだ。経験上、毎日パソコンに向かってタイプするという方法は続かないことがわかっている。第2の理由は、情報の密度である。喋るという方法であれば、1分という時間であっても数百字程度の内容が残せる。また、言い淀みや声のトーンといった、テキストでは残せないニュアンスも記録できる。ちなみに、Pixel のレコーダーアプリを使うのは、自動バックアップ、自動文字起こし、文字起こしの検索ができるからだ。

この方法でつけるようになって、およそ3ヶ月ほど日記が続いている(もちろん忘れる日もある)。やはり継続するにはハードルの低さが大事だ。

プライベートな日記だけでなく、パブリックな発信も継続しようと思い、この「しずかなインターネット」への投稿をはじめた。自分でブログをホストすること、Git で履歴を丁寧に管理すること、文章の校正を自動化することを捨て、「しずかなインターネット」のウェブエディタに直接この文章を書いている。ハードルを低くするためだ。少なくとも月に1回くらい書きたいと思っているが、こちらはどのくらい続くか、まだわからない。

@sankichi92
音楽とSF小説が好きなソフトウェアエンジニア