忍ミュ14弾感想(初演・再演含む)①作品のテーマとか

saq_vv98
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公開:2024/11/29

14弾は、プロ忍者という夢や立場をめぐる人の弱さや、六はの決意を描いた話だと感じました。

それを描く上でキーになったのが「忍(心に刃を)」。

卒業生(六年生の1学年上)である光雲と王子を通して「プロであれば、人としておかしいと感じるような事でも引き受けなければいけない」という厳しい現実に直面し、揺らぎ、しかしそれに折れることなく、忍びの宿命であると心に刻み込んだ伊作と留三郎(そして光雲と王子)の話。

目次

  1. 忍=心に刃=強い心

  2. 「俺達は幸運だ」/「許せ」/「強くなったな」

  3. 人間万事塞翁が馬

  4. 『好機到来』!/「チャンスを与えよう」

  5. 「でも僕はそう思いたい」

  6. 「もっと強くなりたい」/「伊作、…勝負だ」


忍=心に刃=強い心

14弾で色濃く描かれた「忍(心に刃を)」。忍としての在り方と己の心との間で揺らいだ四人の姿があまりに切なくて。

『当流奪口忍之巻註』では、忍という漢字についてこのような記述があるそうです。

忍の一字。この一字至って大事也。字の心は刃の下に心を書。胸に白羽を当て物を問い、決断に逢ふ心也。」(引用元:https://www.igaportal.co.jp/ninja/1804

胸に刃を突き立てても、動じず冷静に考え、決断し、自分の意志を変えない強い心…そんな「忍」の心持ちがなければ任務を果たせない。だからこそ何事においても「忍」の心が大事である。という一文ですね。

『忍びの宿命』という曲がまさしくこの通りであるように思います。

「お世話になった先輩達と戦いたくない」「しかしやるべき事は乱太郎を助けること」「そのために先輩達と戦わなければいけないのなら…立ち向かおう。覚悟を決めて」

やるべき事は理解できていても、やりたくない事もある…そんな伊作の心の揺らぎが人間らしく、それゆえに曲中嗚咽を漏らしたり涙をこぼしたりしながらも歌う姿に心を打たれました。だからこそ、乱太郎と学園長を助け出した後、伊作と留三郎が光雲と王子と戦うシーンで名前を叫び、雄叫びを上げる姿が痛ましく見えて。

光雲と王子。私は、この二人は何度も自分達に「これは任務だ。プロの忍者ならば、主君の命は絶対だ」と言い聞かせているように感じました。


「俺達は幸運だ」/「許せ」/「強くなったな」

光雲も王子も、プロの忍者として「主君の命は絶対」を最後まで貫いていたように私は感じました。

ドクタケとの協力をボスから指示されている以上、ドクタケの指示にも従う必要があって。「プロ忍である以上、主君の命は絶対」。プロの忍者としての在り方を貫いていたからこそ、本心では対立したくない、戦いたくない…。そんな二人の葛藤や辛さが光って見えました。

だからこそ、ボスの鷹が間に合ったことは、彼ら二人にとって幸運だったと私は思うんです。

伊作に留めの刃を向けた光雲が、「伊作、許せ」と言いましたね。

このとき、二人は伊作と留三郎に致命傷を与えることも覚悟していたように感じました。プロの忍者として、やるべき事を完遂しようとしていた。

本当は後輩と戦うなんてことはしたくない…そんな葛藤が見えていたからこそ、回想シーンでは「もし世話になった先輩達と戦うことになったら?」と声を震わせていたからこそ。後輩を手にかけるなんていう最悪の事態に至らずに済んだことは、幸運だったと思います。

光雲も王子も覚悟を決めていた。決めていたからこそ、自分達の意志で引き返すことはできなかった。伊作の「こんなことをしちゃダメなんです」では引き返せないほど、二人の覚悟は意志は確固たるものだった。この二人が引き返すには、ボスからの「戻ってこい」という言葉以外、きっと何もなかった。

だからこそ、ボスから戻ってくるように指示されドクタケが撤退した瞬間、刀を落とし、厳しくも優しく育てた後輩を手にかけようとしていた事実に手を震わせ、光雲は「伊作…良かったあ…」と泣いたのだと思います。

本当はやりたくない。でもプロの忍者として覚悟を決めていたからこそ、「やらなくていい」と本心を肯定されたことに安堵した。その結果の言葉だったように感じました。

乱太郎・きり丸を誘拐したり学園長に刃を向けたり…光雲と王子の中で正当性があるとは思えない行為をしなければならないことに内心抵抗していたからこそ、二人は泣きながら立ち去った…。

そんな二人の心の揺らぎや弱さを見つめていたいんです。

伊作が「いくら忍務だからって、こんな事(一年生を誘拐する)できる?」と人としての心を問いましたね。

私は光雲と王子が「良かった」と泣き、「許せ」と土下座したとき、人としての心を失っていなかったのだと感じて、嬉しくなったんです。彼らは人としての心を見失っていなかったし、この物語はそう在ることをきっと肯定してくれているのだろうと感じました。

再演では、「許せ」が「強くなったな」というセリフに変わっていましたね。こんな形だったとはいえ、かつての後輩に再会できたことは、きっと光雲と王子にとって嬉しいことだったのではないかな、と感じました。

確か初演でも「あいつら本当に、強くなってたな!」と王子が喜んでいたと思うのですが…回想シーンでの王子→留三郎の追加台詞「特訓の成果が出てきたな」によって、後輩が強くなったことへの喜びや感慨深さといった感情に説得力が出たように思います。

あの場にいた六年生や五年生にとっては、きっと苦々しい出来事だったのではないかな、と思います。

散々振り回されて、散々殴られて蹴られて殺されかけて、その末に「許せ」なんて言われても、納得できなかったろうなと…。

でも、伊作や留三郎にとっては、きっと苦々しさや苦しさばかりではなかったのではないかと思うんです。

人の心を失っていなかったこと、「あんなこと」をせずに済んで泣いていること、「強くなったな」とかつての眼差しを向けてくれたこと…。

そんな喜びや嬉しさ、かつて憧れた先輩達が「超えるべき壁」のままでいてくれたことや、強くなった自分を認めてくれたことに対する誇らしさもあったのではないか。

決して悪い事ばかりではなかった。そう思えるラストに、再演では変わっていたように感じました。


人間万事塞翁が馬

この諺の肝は「不運か幸運か」ではなくて、光雲が伊作に言った通り「不運なことが起こったときは、幸運の兆しだと思えばいい。決して悲観的にならないこと」だと思っています。

将来の事は予測できない。だから物事に一喜一憂しない、右往左往しないこと。決して悲観的にならないこと。…そして、今自分にできる事をやる。

一年生達が『星に願おう』で歌ったように、土井先生がきり丸としんべヱに「願うことが大切だ」と語ったように。今自分にできる事をしよう。それが無事を願うことならば、願おう。

決して悲観的にならないでいること。今自分にできることは何かを考え、遂行すること

これが諺の肝であり、代理と双忍のやりとりにも繋がるように思います。

代理組の「今、俺達にできる事をやろう!」

双忍の「数多くの失敗は必要、ということは今の雷蔵は正しいってことだよね(今の君は、自分にできる事をやっている、正しい道を進んでいるよ)」

自分のすべき事に集中すること、「現在、今この瞬間」に意識を向けること…。

これは忍者の精神性とも繋がりますし、何度も出てきた「チャンス(好機)」というキーワードとも関わるのではないでしょうか。


『好機到来』!/「チャンスを与えよう」

14弾では、チャンス(好機)という単語がキーでもありましたね。

ドクタケソングのタイトル『好機到来』。八宝斎様の「好機」

小松田さんと尾浜の「これで実績をさらに積み上げ、忍者として認めてもらうんです!」「人生の中で一度や二度、無理をしなければいけない事もあるんです」

学園長の「知力・体力・時の運」「いつかまた、チャンスを与えるときがくるじゃろう」

光雲の「僕には運が味方してるんだ」という言葉も踏まえると、チャンス(好機)=運を掴むことが大切だということがわかりますね。

チャンス(好機)=運を掴むことが、「現在、今この瞬間」に意識を向ける忍者の精神性に繋がるなあと感じているのですが、それは『忍者学講義』(山田雄司 編)という本の一節が私の心に残っているからなんです。

「死は存在を確定する『生の裏返し』であり、死を意識することによって生きる意味が明確になる。 現在自分の置かれた状況を瞬間的に直視すること…瞬間は絶えず生まれ同時に死んでいる。その刹那に精神性が生まれる。忍者の強さとはここにある。」 (引用元∶https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784120052668 山田雄司 編 P.)

王子の言葉「忍者の世界は常に死と隣り合わせだ!」の通り、絶えず死に直面し、それでもなお生き延び続けねばならなかった忍者にとって、過去や未来よりも「今この瞬間の現実」を直視し続けることが重要であったのだと思います(命懸けの仕事ですし、生き延びるための糸口を見つけることが重要だったのだろうとも思います)。

生き延びるために必要な周囲の状況の変化の瞬間、機(=チャンス)を読むことが、忍者が任務を成功させる上で重要だったと、私は理解しました(5弾のタソガレドキの歌も、こういうことなのかな~と思ったりしています)。

ボスの鷹が飛んできた瞬間。光雲と王子が伊作と留三郎に刃を向けていましたね。光雲は鷹の鳴き声が聞こえたタイミングで手を止めているように見えるのです。もし鷹の鳴き声が聞こえていなかったら、きっと光雲の刃は伊作を貫いていたのではないか…。

彼が「鷹の鳴き声」という違和感に気付き手を止めることができたのは、外道にならずに済んだのは、彼が機を掴めたからなのだろうなと思わずにはいられなくて。

そして光雲と王子の二人が(作中ではハッキリと明言されてはいませんが)、乱太郎のお守り・頭巾、ドクタケの命・サングラスを落として乱太郎達の居場所を暗に教えたこと。乱太郎に目潰しの方法を教えたこと。きっとこれらの布石があったからこそ、あのラストに繋がったのだと思うのです。


「でも僕はそう思いたい」

このシーンの伊作と留三郎のやりとりが優しくて、あたたかくて。

留三郎の「プロの忍者なら、そんなことはしない」という声色や表情も素敵でしたね。きっと彼も伊作と同じ気持ちだったと思うんです。

かつて憧れ、超えるべき先輩として在った光雲と王子が、今もなお彼らにとって憧れのままで在ってくれたこと。その喜びや嬉しさは、どれほどのものだろうか…と思うと、胸がぎゅっとするのです。

忍者としての生き方を貫くために、人としての生き方を捨てる必要はないと思えたことは、そんな生き方を肯定できたことは、きっと伊作や留三郎にとって幸運だったと思います。

大阪大楽ではお二方とも喉をやられてしまい、ちょけた瞬間もありましたが、そこもまた お二人らしくて素敵だな、と思います。


「もっと強くなりたい」/「伊作、…勝負だ」

大阪公演での伊作の「もっと強くなりたい」は、うつむきがちで、悔しさや情けなさをにじませた声色であるように感じました。

私は「仕方がないものな、プロとはいえ、嫌なものは嫌だろうよ」「嫌だとしても、プロである以上従わなきゃいけないこともあるものな」「でも、正当性があると思えない事に従うのって、葛藤があるよな」と…光雲と王子に対してではなく、彼らの置かれた世界・立場に対して理不尽さを感じていて。

プロの忍者が一体どういう世界に生きていて、どんな立場にいるのかを、二人を通して改めて知り、自分の未熟さを知ったのだろうなと感じました。

だからこそ、俯き、掠れた声で絞り出すように呟かれた「もっと強くなりたい…」が苦しくて切なくて。

留三郎が「伊作、…勝負だ」と言ったときの声色も素敵でした。

留三郎と王子が一対一で対峙したとき、日頃不運に襲われる伊作を気にするあの留三郎が、伊作の方を向くこともなく、雄叫びをあげ全力で殴り合いをしていましたね。

伊作のことを気に掛ける余裕もないほど、彼にとって王子は特別な存在だったはずで。そんな人に「強くなったな」と言われて、敵わないところを見せられて。留三郎が奮起しないはずがないなと思うんです。

静かで力強くて、どこか現実味を帯びた「伊作、勝負だ」という留三郎の言葉。同じ夢を志す者としての言葉として、なんて優しい一言なのだろうと思わずにはいられなくて。

二人はこれからもきっと、(遠く離れていたとしても)ともに未来を駆けてゆくのでしょうね。

14弾は人間の弱さと忍びの酷な生き方(心に刃を)を描き、そんな弱さを抱えた生き方を肯定しながらも、成長していこうとする忍たま(と、元忍たま)を描いた物語だったと、私は受け取りました。