長い話のまた続き Vol.1

saq_vv98
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公開:2025/12/15

ギャップさん、こんばんは。ごめんなさい、随分とお待たせしてしまいました。

さて。Vol. 1ということで、初めて読む方に向けて、まずはこの往復書簡を始めた経緯についてお話ししましょう。

ギャップさんと私(有)は、時々Discordでお話しています。推し活の話、ジェンダーの話、本の話、教育の話などなど…。

そしてあるとき、「この話を他の方にも読んでほしいね」という話になったのです。この記事は、その第一回目になります。


推し活の話

記念すべき第一回。何から話そうかと思ったのですが、「やはりこれだろう」と。笑

「“推しに認知されたい”って、どういうことなのだろう」「現実に生きている人を“推す”って難しい」などなど…込み入ったお話をしましたね。

今回はファンレターのお話がしてみたいのです。

先日山木さん(念のため。贔屓にしている俳優さんです)の配信で、(有料コンテンツなので詳しくは言えませんが)「お手紙は定期的にお焚き上げしている」というお話をなさったんですね。

私、それがすごく嬉しかったんです。

お手紙には「お芝居がすごく良かった」「こんな文脈で、このお芝居とこのセリフから、こういうストーリーだと解釈した」…という事しか書いていないので、残っていたところで何も恥ずかしい事はないのですが。

熱量を込めて書いたお手紙である以上、何らかの感情がそこにこもっていたのではないかなあと思うんです。(あくまでも私にとって)ポジティブな感情だとしても、それがずっとその人の手元にあるのは、居心地が悪いな…でも伝えたかったんだよな~とモヤモヤと考えるときがあったんです。

私、たとえポジティブな感情であっても、「念は念だよね」と感じてしまうんです。念である以上、重みになるのは嫌だなあと思っていて…。

だから、お焚き上げしておられるのが分かってホッとしたんですね。「た、助かる!そのスパッとしたところがやっぱり好きだな~!」って感じたんです。

多分、好きな作家さんが同じように仰っていても嬉しいなと感じると思います。ずっと手元に残し続けてくださるパターンも、きっと嬉しいと感じるとは思いますが…。

ギャップさんだったら、「定期的にファンレターを燃やしている」と知ったらどう感じますか?


アラビア語とドラマの話

ここのところ、食事中にアラビア語(恐らく)のドラマを流しているのですが、興味深いなと思った事をお話しさせてください。

日本語字幕なしで見ているので、正直全く分かっていないのですが、とにかくドラマを流しておりまして。ある男性が、訝しげに車の中を覗いて様子をうかがうシーンがあったんですね。

それまでBGMが鳴っていたのに、その男性が眉をひそめた直後にBGMが止んだんです。

そして男性は不審な?車にゆっくりと近づき、中を覗いて…結局何も起こることなく、男性は自分の車に乗って病院に向かったんです。

このとき「アレ!?何も起こらないの!?」と、BGMが止んだことで「何かハプニングが起こるのではないか」と勝手にソワソワしていた自分に気が付いたのです。

そういえば、「無音になったら何かが起こると期待する」のは何故だろう?と思いまして。そういえば、いつ登場した手法(文化?)なのだろう?と…ぼんやり考えたりもしました。

実はこれを書いた後に忍たまの映画(最強の軍師)の再上映を見たのですが、BGMが止んだ後、特に何かハプニングが起こることなくストーリーが進んだシーンがありまして。私が敏感になり過ぎていた可能性が浮上しました。


読解力の話

さて、話が大きく変わるのですが。この辺りの話を、ギャップさんにお話ししてみたいな~と思っていました。

ギャップさんにとって、【読解力】って何だと思いますか?

子ども達に教えていて、「今私が教えている国語って、【質問に答えるための力】だよなあ」と感じることが何度かありまして。

よく言われる読解力って、接続語・因果関係・対比などをもとに筋道立てて正しく意味を掴み、理解する力だと思うんです。これがまさしく受験で教えている力ですね。

でも、対人コミュニケーションをベースに考えると、これだけじゃないように感じるんです。

例えば…その文章・言葉の前提や背景を推測する力や、ニュアンス・温度感を掴む力も必要になると思いませんか?(だからSNSは議論に向いていない…とも思うのですが)

そしてSNSでは、この【文章・言葉の前提や背景を推測する力】や【ニュアンス・温度感を掴む力】の方がけっこう重要なんじゃない…?と思ったりしていまして。あとは…悪意があることを前提に文章を読まないこととか。

「文章を読めていない」というのを、【読解力】という言葉一つでまとめて良いのかな…?と考える時があります。


体感の話

先日、イギリス人コメディアンによるスタンダップコメディを観に行ったんです。ちなみにスタンダップコメディは西洋漫談とも言われる、マイク一本で観客を笑わせるコメディのことです。

それが、なかなか切れ味の鋭い話題だったんです。

いろいろ考えた結果…詳細は省くことにしたのですが(詳しくは通話でお話しできたらと思っております)、「体感」によって生じる恐怖や不安感って、どう乗り越えたら良いのだろうな?というのが、コロナ禍からのテーマだったりします。

例えばクマの報道のように、テレビやSNSなどでそういう話題に触れる回数が増えることで、より深刻に感じてしまうという一面もあるとは思うのですが…。

例えば教育ですね。

「小学生があまりにも幼い。今は否定されているけれど、1、2年後に中学校教員の間で話題になるのではないか」という、学校教員や予備校・塾講師のツイートを度々見かけていました。

小学生・中学生でもすごくしっかりした子もいる…ということは大前提として、精神年齢が幼い子が多いという印象は私も持っていたので、理解できるなあと思っているんです。

ただ、これを「あなたの周りだけじゃない?あなたがそういう子に出会いがちだからじゃない?」と一蹴してしまうのは…どうなんだろう~!とも思うんです。

ここ数年で「真実を見極めて」「しっかり勉強して、情報を精査して、フェイクを見抜いて…」という言葉を聞く機会は増えましたが、【真実】って何なんだろう?と考えてしまうことはありませんか?

私はよく考えるのですが…その理由?要因?の一つが、先ほどお話しした【人によって見えている世界が違う】ことだったりします。

無知ゆえに情報を精査できない・判断できないということはあると思いますし、そういう意味では知識を増やすことや歴史的な流れを把握すること、体系的な理解を促すことも大切だと思うんです。

ですが、もしその話題の当事者だったらどうだろう?とも思うんです。

先ほどの教育の話もそうです。「知能の低下は見られない」「これまでとは異なる部分の能力の向上が見られる。社会・環境の変化に伴って成長する部分が異なるのではないか」という推察も正しいと思います。

でもどうしても拭えない違和感があるとき、「何が【真実】じゃい」と思っちゃう気がしているんです。

実生活の中で感じた事、体感…そういったものをベースにした恐怖や不安感は、どうしても情報を歪ませてしまうと言いますか…。第三者が「認知が歪んでいるな」と感じる状態になってしまうと思いますし、それってどうすれば乗り越えられるのかなあと、よく考えます。


「顔が良い」の話

夏以降、じわじわとジャニーズのAぇ!groupさんにハマっておりまして。その結果、「なるほど!」を感じる事が増えてきたので、話をさせてください。

元々「顔が良い」って言い方があまり得意ではなかったんです。自分の性的・恋愛的な好みの話をしているような気がして…。

それに、俳優さんの写真を見ても「でもこの人達の本業(主戦場…という言い方もよろしくないのかもしれませんが)は舞台だから、芝居で魅せられたいなあ」という気持ちが勝って、見た目でテンションが上がったり、惚れ惚れしたりすることがなかったんです。

…なんですが、東京カレンダーさんのAぇ!groupさんの表紙写真を見て、「わあ!輝いてる!!眩しい!!」と思ったんです。笑

「顔が良い」というと性的・恋愛的な話題だと感じていたのですが、どう見たって表紙が輝いて見えるので、「なるほど、推しが光り輝いて見える、眩しいと感じることを『顔が良い』と表現するんだな~」と学びになりました。

もちろんアイドルの方々も本業(主戦場)はコンサートだと思いますし、私はそれをまだ目の当たりにしていないので分からないのですが…。

彼らが決してビジュアルだけを強みにしているとは思わないんです。「ビジュアルの強さ」を強調する言い方は、やはりまだ苦手と言いますか…。決してそんな事はないのに、「他が劣っていてもビジュアルが良ければ売れる」という偏見が生まれそうで、抵抗感があります。

ただ、それでもやっぱり…眩しいなと思っちゃいましたね。驚きました。この辺り、いつかもっと細かく分析して言葉にできたらいいなあと思っております。


さて、往復書簡の話をして、もうこんな時期になってしまいました。本当に長いことお待たせしてしまい…その上、「往復書簡のわりに、一方的に自分のことしか喋ってなくない!?」な感じになってしまいました。

Discordでお話ししているときみたいに、ギャップさんのお話もたくさん聞かせて(読ませて?)いただけると、とっても嬉しいです。

ますます寒さが厳しくなってきましたし、年末に向けて忙しさが増してくる頃ですが、お身体ご自愛くださいね。