何をあきらめるべきか?

sara
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そういえば、人気のイラストレーター安西水丸さんはルーブル美術館に行った時、ミケランジェロの絵を見てうまく描くことをあきらめたそうです。なんか安西さんはエッセイとかでどう負けるかみたいなのを語られることが多くて、けっこうそれって生きていく上で地味に大事な要素であるように思う。

勝ち方を熱烈に語られる本はいくらでも世間であるけど、負け方については大人はあまり語りたがらない。まあ、たしかにそんなん語って本人に得することないからだと思うけども・・・笑。でも引くべきところであっさり引く引き際ってけっこう大事だ。

仕事も恋愛もそのように思う。いちばん引き際があっぱれと思うやつは桜だ。さっと咲いてあっさり散る。桜を見て人がうつくしいと思うのは、たぶんあのあっさり加減なのではないだろうか。とちょっと哲学してみたり・・・。

今日はトートバックに本だけ入れて部屋にスマホを置いて街を歩いた。最近なるべくスマホを触らないようにしている。1人で考えたり、感覚をゆさぶってくれるナニカに時間を割きたいからだ。

最近冒頭の安西さんじゃないけれど、「何をあきらめるか?」を結構考えてる。というのも今後これからどういう人がAI社会で生き残っていけるのだろうか?と自問してみたときに専門性がないとまずいなと強烈な危機感を感じたからだ。

リベラルアーツ(一般教養)だけではなくメカニカルアーツ(専門技術)を深めていく必要がレッドオーシャンではなく、ブルオーシャンで戦わずして生き残っていく戦略として必要なのでは無いかなと感じる。もちろん同時に学ぶ必要もあるだろう。この辺の発想は落合陽一さんの✴︎『これからの世界をつくる仲間たちへ』がとても参考になった。

専門性を深めるを別の言葉で置き換えると「何をあきらめるかを決める」ということでもある。そのような問いは学校の先生達が正面切って生徒達に問いかけることはない。世間はシビアである。人類も基本的には強者が生き残るというジャングルの法則(自然選択)の繰り返しによって繁殖を繰り返して来た。そのような競争社会で個人・会社・団体が生き残っていく上で「何をあきらめるのか?」を突き詰めて考えるのは今後の社会を生き抜いていく上で重要であるように思う。

@sara
『今日もけりけり』半クローズドな個人的な日記