大学で取ってた講義のひとつに、経済学部の先生がやってるのがあった。今でも、後悔とともに思い出す。
その日は、コンピュータの進化が説明されていた。
途中で先生が黒板に8マス×8マスの格子を描いて、こんなようなことを言った。
「8ビットのコンピュータだと、この8×8のます目を使ってキャラクターを描く。だからファミコンのキャラはカクカクしている。進化して16ビットになると、縦横がそれぞれ倍になるから、微細なドット絵が描けるようになる」
いやいや。
CPUのビット数と、ドット絵のピクセル数は別物だ。「8ビットならドット絵は8×8」みたいな対応関係にはない。
というようなことを考えていると、先生が僕の方を向いて、
「そうだよな?」
と確認してきた。
その日たまたま前の方の席に座っていたのがよくなかった。
困った。
違うと言いたいけど、
先生が自信満々に語ってる。きっとこのあと何か補足があって、正しい説明になるはずだ。なってほしい (正常性バイアスというか権威主義というか……)
他にも20人近くの学生が出席してる前で、全否定して恥をかかせてもいいものだろうか (変なリスク回避)
といった考えが頭の中を渦巻いた。
結局僕は、「はい」と答えてしまった。
しかし期待したようにはもちろんならず、正しくない内容のまま講義は進んでいった。
訂正できたタイミングで訂正しなかった申し訳なさと、間違った説明を肯定してしまった恥ずかしさとで、いたたまれない気持ちになった。
後悔のあまり、講義の途中で退席したくなった。
今の自分なら角が立たないようにうまく訂正できたかもしれない。ファミコンのスプライトの仕様についての知識も増えたので、そもそもファミコンのキャラのドット絵は、ほとんどが8×8じゃないことも知っている。
当時は、咄嗟にそんな対応をすることが僕にはできなかったけど、せめて「違うと思います」くらい言えばよかったと、今でも時々思い出して悔しい気持ちになる。