ジャイアンシチューにセミのぬけがらは入ってない

sardine
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公開:2024/6/5

より正確を期して言うなら、漫画『ドラえもん』において、ジャイアンシチューにセミのぬけがらが入っていたという確たる証拠はない。

この問題を考えるには、2つのエピソードを読む必要がある。以前持ってたてんとう虫コミックス版を手放してしまったため、今回は「藤子・F・不二雄大全集」の『ドラえもん』(以下、大全集と呼ぶ)で確認した。

ひとつめはそのものずばり「ジャイアンシチュー」と題された回だ。大全集7巻収録。

ジャイアンが、のび太・スネ夫・静香の3人に自作料理をふるまう。得体のしれない鍋を前に、説明を求められたジャイアン本人が

「ひき肉とたくあんとしおからとジャムとにぼしと大福と…、そのほかいろいろだ」

「ジャイアンシチューとよんでくれ」

と語っている。

セミのぬけがらは明示されていない。「そのほか いろいろ」に含まれる可能性はあるが、書かれていないものを「含まれるはずだ」と決めつけることはできない。

決めつけありなら、なんでもいいことになってしまう。

もうひとつのエピソードは、大全集17巻の「恐怖のディナーショー」。

ジャイアンが特製料理付きのディナーショーを企画するという回で、ドラえもんとのび太が

「そういえばずっと前……」

「ジャイアンがシチューかなんか作って……」

「あれはひどい味だった!」

と会話しているので、前述の「ジャイアンシチュー」より後に起きた出来事であると考えられる。

「そろそろなべが煮つまるころだ」

というジャイアンの台詞から鍋で何かを煮込んでいることはわかるし、

「さて、みそで味をととのえて……、ジャムとたくあんとセミのぬけがらを………」

という声が剛田家から漏れ聞こえている。

ジャムとたくあんが再登場しているし、また鍋を使っているから今回もシチューだろう、しかもセミのぬけがらが追加されている、と考えたくなる気持ちはわかる。

中には脊髄反射的に、もしくはジャイアンシチューという概念が好きすぎて、「どう見てもジャイアンシチューだろ。何言ってるんだ」と憤る人もいるかもしれない。

しかし、仮に作中に何かあとひとつ、「カレー粉をたっぷり……」みたいな台詞があったとしたら、その人は同じ熱量で「どう見てもシチューではないだろ」と憤っていただろう。

実際にはそんな台詞はないので、僕はカレーだった主張するつもりはない。しかし、シチューだったという証拠もないのだ。

この回で作っている料理について、ジャイアンは名前を明かしていないし、料理の見た目も描かれていない。

何を作っているのか尋ねられたジャイアンは、詳細をぼかして

「だれも作ったことのないスペシャル料理だ」

としか言っていない。

もちろん、この言葉を「ジャイアンシチューの新バージョンだ。レシピを改良して、だれも作ったことのないスペシャルなシチューにするぞ」と解釈することはできる。本番前にネタバレしたくないから、シチューであるとも言わなかっただけと考えるわけだ。

しかし、フラットに台詞の文章を読むなら、むしろ「今回はシチューではなく、世界のどこにもない、まったく新しいおれオリジナルのスペシャルな創作料理だ」という解釈の方が正しいように思える。

今回のジャイアンは、料理付きコンサートという新企画を思いついて、かなり気合いが入っていることも思い出してほしい。

そう考えると、この回でジャイアンが作ろうとしていたのはシチューではない可能性が高い。

だとすれば、セミのぬけがらが使われたのは、ジャイアンシチューではなく、詳細不明の新作料理の方、ということになる。

以上が、この記事のタイトルで僕が言いたかったことだ。

せっかくなので、ディナーショーに出てくる予定だったのはどんな料理なのか、ということも考えてみよう。

ここまで、ジャイアンシチューとディナーショーの料理は別物という説明をしてきたのだけど、実態としては似たようなものである可能性が高い。

鍋に様々な奇抜な食材を投入して、煮込むわけだ。

Pixiv百科事典でジャイアンシチューの記事を見ると、第二次大戦の終戦直後に日本の闇市で作られていた「残飯シチュー」が元になっているかも、という説が載っていた。

これは鍋に残飯をまとめて放り込んで煮込んだもので、我々がイメージするようなシチューではなく、ごった煮に近いのだという。

藤子・F先生は戦前生まれだし、ジャイアンの料理スキル的に複雑な料理は作れないだろうから、この説はあながち的外れとは言えない。

そういえば、「ジャイアンシチュー」の回でジャイアンが挙げている材料の中に、シチューのルウやそれに相当するものは出てきていない。

あくまでジャイアンが「ジャイアンシチューとよんでくれ」と言っているだけなのだ。

ジャイアン自身は戦後生まれなので残飯シチューは知らないだろうけど、食材をまとめて煮込んだものに、おれ流のシチューという意味でジャイアンシチューと名付けたというのは、いかにもありそうだ。

(余談だけど、そう考えてみると、ジャイアンシチューを再現する場合、シチューのルウやそれに相当する食材を入れるのは誤りということになる。シチューなら当然ルウを入れたはずという推測は、ジャイアン料理には通用しない)

この回で、完成品が描かれたコマに「ドロ〜リ」という擬音が付けられている。ふつうのシチューならドロリとしているのはおかしいことではないのだから、「不味そう」を表す擬音として「ドロ〜リ」が選ばれたのは、なぜかわからないがとろみがついていて不気味、という表現のはずだ。

やはり、ジャイアンシチューは、残飯シチューのように食材を鍋で煮込んで多少味付けしたくらいのものだったと考える方が自然だ。

ディナーショー向けに作られた料理も材料や工程は似ているので、おそらく同様のものだったのだと思う。

え? じゃあやっぱりディナーショーのもジャイアンシチューなんじゃん、と思うかもしれないが、それは違う。

闇鍋のような奇怪な料理に、「ジャイアンシチュー」の回ではジャイアンが「ジャイアンシチューとよんでくれ」と言ったからシチューになった。

「恐怖のディナーショー」で、新企画に発奮し「だれも作ったことのないスペシャル料理」とまで言ったジャイアンが、「今回のは改良版ジャイアンシチューとよんでくれ」なんて言うだろうか。

まったく予想もつかないが、きっと何か別の名前が、ディナーショー会場で満面笑顔のジャイアンから告げられたはずだ。

ジャイアンがジャイアンシチューだと言ったことを理由にジャイアンシチューをそう呼ぶのなら、ジャイアンが違う名を与えた料理もその名で呼ばなければならない。たとえ実態がほとんど同じだろうと。

ただ、「恐怖のディナーショー」の回はそのシーンが描かれる前に終幕を迎えてしまうので、我々読者は永遠にこの料理の名前を知ることができない。

ジャイアンシチューによく似た、しかし別物の、詳細不明の料理。

残念なことこの上ないけど、ラストのコマでのび太たちは喜んでいたので、まあよしとしよう。