3月の日記

猿場つかさ
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20240330

ゲンロン総会へ。オッペンハイマーを予約する。執筆計画を立てる。テーマを決めた。

20240325

執筆。結局家が一番な気もする。スピーカーのケーブルが壊れていたのでLINE INからいれたら快適執筆空間になった。背中側から音楽がなるというのは良い。当真伊都子のアルバムが心地良い。synfilumsのアルバム。

20240322

西行の「願わくば花の下にて春死なむ」の歌について、生花の川瀬敏郎さんが「自然と同化できないこと」を詠んだ絶望の歌だと語っていたのが興味深かった。樂吉左衞門(直入)もそれに共感を示していてなかなか興味深い。

20240321

長い間日記サボっていたので書き直す。これはわたしの偽史なのだ。偽史として日記を書く。忘れないようにするために日記を書く。

20240320

三越前へ、吉見蛍石さんのお茶碗がとんでもない。もう耐えられなそうだ。我慢できたことを褒めてあげたい(あほか)。平成の闇市で狙っていた茶碗がなくなっていると思ったら、某後輩が購入していたことを知りほっこり、数寄の道にバジェットなどという概念はないのかもしれない。

辻村史朗さんの黒茶碗でお茶を飲む。長次郎的な楽茶碗の本質を宿している用に思える。茶が存在するときだけ、点前をするときだけそれは茶碗として存在して、それ以外のときは姿を消してしまうような器。たち現れる器。存在を拒絶するような黒。樂吉左衞門(直入)が語っていたけれど「ここにはあなたの期待する色も形もありませんよ」という拒絶の思想が強く現れている。辻村史朗さんの赤茶碗をいくつか調べると、直入が赤楽というのは釉薬ではなく土の色だと言っていた意味がわかるように思える。理想的に抽象化された世界で、茶碗というものはふたつの色を持つ(ひとつにならない)。片方は黒で、片方は赤になる。本質的に赤であるものは黒になれない(原理的な乖離がある)都思うと、赤楽と黒楽の違いをもっと理解しなければいけないと感じる。

20240319

20240318

犬山城へ。二度目の如庵訪問。今度は元庵も拝見する。元庵は亭主床に竹の中柱で主張がすこかった。そこから削ぎ落としていって如庵に至ったと思うと、その変遷過程を追いたくなる。中間の時代のものが三渓園の春草廬だろうか?名古屋はなんだか太閤秀吉が酷くプッシュされているので歩いていると変な気分になる。なぜなんだろう

20240317

京都、妙喜庵待庵と京セラ美術館の村上隆展へ。

20240316

京都、和久傳で美味しいご飯をいただく。

20240315

20240314

20240313

20240313

20240312

20240303

三藤るいさんのお茶碗は青い。美しすぎてずっと愛でていたくなる。丁寧な仕事ってどうして器にちゃんと現れるのだろうと思う。その現れ方を巧みにコントロールすることが丁寧さなのだろうなぁ。

20240302

後輩たちの茶会に行った。大学四年生。女子しかいない代らしく、桃の節句をお祝いするというコンセプトの取り合わせだった。なかなかに良い。うるさすぎない感じ。淡々斎好みの御幸棚は中棚のところに御簾がかかっていて客座からは中棚が見えないのが面白い。清める時に初めて姿がわかるのだ。

懇親会はだるかったのでスキップ。その前に同学年で集まって駄弁るなどした。まあ、みんな普通の大人になっていく感じがする。普通の会。普通だからやる意味がないわけではないけれど、久しぶりすぎてかえってあんまり話すことがないような気がした。苦手な人というのは時間が経っても苦手なままなわけだし。中のいい人だけを集めて軽めの旅行にでも行くのがいいのかなと思った。

「ものの人類学」はゲットしました。

20240301

1日。たくさん本を買える日。みたいな認識をしているせいで一向にお金もたまらなければ、積読が増えるばかり。青山ブックセンターに足を運んだのにアンナ・カヴァンの新刊がなくてがっかり。けれど「ものの人類学」という面白そうな本を発見して家に買える。アマゾンで調べた感じ高騰している本だったので、明日足を運んでゲットすることに(それまで残っていてくれよ)。金曜日なので映画を見た。落下の解剖学。素晴らしい映画だった。

@sarubatsukasa
SF作家 / 「海にたゆたう一文字に」で第6回ゲンロンSF新人賞を受賞 /小説すばる陶芸SF「長い鰭で未来へと泳ぐ」掲載