うどんがピンチの時、私はうどん側に立つ(私の会食恐怖症体験談・後編)

「会食恐怖症」という言葉を知った私は、さらにそれを検索欄に入れてインターネットの中を進んでいった。

そこで日本会食恐怖症克服支援協会のHPに出会った。

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今、そのHPで紹介されている「食べなくてもいいカフェ」の本店は私が仲間と立ち上げたものであり、認定カウンセラーの紹介ページには自分の写真が「プロカウンセラー」として並んでいる。

2022年には代表の山口さんと共同で「Renew」という克服講座を行なった。

当時は支援する側に回るなど、そんな展開は夢にも思っていなかった。

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話を大学4年生の当時に戻す。

兎にも角にも私は焦っていた。

なぜなら、翌年の4月には新社会人として会社勤めが始まるからだ。

それに秋~冬にかけては大学の仲間との卒業旅行等も控えている。

そんなかけがえのないひと時を無駄にしたくない。という勿体ないお化けな自分が背中を押した。

そんなこんなで、私はあまり落ち込む時間を長く設けることなく協会の克服メルマガに登録した。

具体的に何をしたか

それから取り組んだことは、

できることを確認し、それを増やすこと だった。

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カウンセリングをしていると、

「食事の場に慣れるしかないんですかね」と諦め混じりでよく聞かれる。

もしくは「挑戦していかないとダメですよね」という言葉も多い。

ただ、私はいつも聞く。

今、あなたはどこまでなら出来ますか?

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当時の私は、一人で外食をすることも出来なかった。

また、もはや会食恐怖でもないが、「ここから逃げ出したい」がいつ来るか不安で電車に乗ることも出来なかった。

そこで始めたことが、家で・一人で・半玉のうどんを食べることだった。

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食事の場は、大きく3つの要素から成り立っていると考えている。

それは、①場所 ②相手 ③食べるもの の3つだ。

この各要素の中でもハードルの最も低い組み合わせ(=ほぼ間違いなく出来るだろう)というシチュエーションが、”家で・一人で・半玉のうどんを食べること”だった。

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当然、「やらなくても出来るって分かっている」という思いからもっと難易度を上げようかとも思ったが、「今まで出来ていたことも出来なくなったんやもんな」と思い直した。

そこでいつもより半分の時間設定であたためを開始した。

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当然、食べられる。

なんなら物足りないくらいだった。

それでも「今の自分はここまでなら出来るんだな」と事実として確認してみることにした。

すると、それまでは「自分は食べられない」という否定でいっぱいだった頭の中に、「シチュエーション次第ではちゃんと食べられるんやん」という気付きが差し込まれた。

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それからは、同じ家での食事でもうどんの量を増やしたり、少しガッツリめのメニューに変えてみた。

時折「ヤバいかも?」と思う瞬間もあったが、大丈夫だった。

「少なくとも、胃腸の機能的な問題ではない」

「ということは、その場への捉え方の問題なんや」

という気づきが得られた。

うどんは永遠の友

そうして③の要素のハードルを少しずつ上げていったわけだが、それからは①と②のハードルも少しずつ上げてみることにした。

①丸亀製麺で、②何でも話せる仲の良い先輩と、③うどんを1玉食べる ことだった。

これも問題なく食べることができた。

それに、先輩に今の悩みを打ち明けることも出来た。

すると「いつでも一緒に食べに行くから、自分のペースで声かけて」と言ってくれた。

とても気持ちが軽く、温かくなった。

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余談だが、ここまででお察しの通り私にとって”うどん”は最も食べやすい食べ物の1つだ。

うどんによって私は救われたと言っても過言ではない。

もしいつの日か、この日本でうどんが窮地に立たされることがあれば、私はうどん側に立つ。進んで彼らを助けたいと思っている。

それくらい感謝している。

困っているうどんがいたら、私に連絡してほしい。

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そんなこんなで、3つの要素を組み替えながらコツコツと食事の機会を重ねていった。

あくまでも出来ないことに挑戦するというよりも、出来ることの範囲・輪をジワジワ広げていく感覚だった。

そうやって3か月もすると、あることに気付いた。

「あれ、全く食べられなかったのに、特定の人となら外でも食べられるようになってるな」

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ある日突然良くなることは無くて、”気付いたら良くなっていた”という感じ。

自分もそうだったが、これまで他の方を見ていてもそう思う。

なので、少々楽観的かもしれないが、現状の自分からは食べられる自分など到底遠いと絶望している方も、急がば回れの感覚でじっくりと、でも着実に取り組んで欲しいなと思っている。

大学も会食恐怖症も卒業

そんなこんなで、大学の卒業時には”ほぼ”食べられるように戻っていった。

当然、食事の約束が迫るにつれてげんなりしたり、道中に不安を感じることは多かった。

それでもなんだかんだで食べられた。

そうやって「食べられた」の経験が増えるにつれて、食事の場への足取りも少しずつ軽くなっていった。

と、思いきや

そうして社会人になり、会食恐怖症と完全におさらばできたと思っていた私だったが、実は社会人3年目の夏にまた例の「ここから逃げ出したい」の衝動を感じ、どん底に戻ることになる。

現在はそこから復調して、以前よりも安定して過ごせているが、ここまでの過程で「会食恐怖症を良くするための土台」として極めて重要なことに気付いた。

2部構成で終われると思ったが、3部目に続きます。

今、悩んでいる方へ

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

私の体験談が、あなたに「一人だけじゃないよ」と寄り添い、少しでも背中を押すものになっていたら何よりです。

もし、「もっと話を聞いてみたい」「相談してみたい」と思っていただける方がいらっしゃったら、以下のいずれかからご連絡いただけたらと思います。

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@sasakikei
会食恐怖症克服支援プロカウンセラーkaishoku.or.jp/nintei ●食べなくてもいいカフェ大阪 立上げ・運営 ●会食恐怖症コミュニティSinka運営 ●会食恐怖症の改善を通して考え方がしなやかになり、生きやすくなりました ●NHK「ハートネットTV」メ~テレ「アップ!」他出演