高浜虚子『新歳時記』をお迎えした話

由岐
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公開:2024/9/5

拝啓、先生。

台風でごたごたした日々を過ごしていたら九月も四日になっていました。先生、お元気ですか。季節の変わり目で体調を崩してはおられませんか。私は最近とめどない食欲を感じて秋だなぁ、と思っています。

先日、高浜虚子編の『新歳時記』を手元に取り寄せました。我が家には角川ソフィア文庫の『俳句歳時記』第五版があるのですが、川上弘美さんが『わたしの好きな季語』のなかで虚子編の歳時記に出会ったこと、そのときの喜びをさらりと綴っていて羨ましくなったのです。

近所の書店を何軒か巡り、出版元でもある三省堂の書店にも足を運んだのですが、何しろもう虚子の歳時記は古く、新しい版の歳時記が流通しているためお店の棚には姿がありません。仕方なくネットで頼みました。昨今の本屋情勢を鑑みれば店頭で取り寄せるべきだと先生はおっしゃられるだろうな、と思いながら、人と話すのが苦手な私はつい臆してしまったのです。

閑話休題。

包みから出した虚子の『新歳時記』は意外なほど小さく、軽い書物でした。なるほど、茶色と黄色の間の色を、薄く薄く引き伸ばしたような立派な箱にこそ入っていましたが、これが実にコンパクトなのです。横長でこそありましたが、サイズは新書本ほどで、この小ささには驚かされました。言葉を選ばずに言えば、呆気に取られたと言ってもよいかもしれません。先生、私は高浜虚子という人の俳句の世界における功績やネームバリューから、そしてまた季語というたくさんの語、俳句を収録した歳時記というものだから大きな、分厚い、どん、と構えているような、そんないかにもな本を想像していたのです。

私はまず箱から出し、鶯色の表紙をめくりました。表紙は柔らかく、ずいぶん開きやすくこれにも驚きました。虚子の歳時記は季節ごとではなく、ひと月ごとに関連する季語がまとめられており、そのことに便利さを感じながら、お目当ての項目をぱらぱらと捲って探します。

川上さんの本によると探していた【春の風邪】という項目は二月の季語です。私は二月のページを一枚ずつ繰っていきました。見開き左、さらにその一番左の項目にその一文はありました。

  冬の風邪と違って、春の風邪といへば何となく艶っぽい

何となく艶っぽい、と本当に書いてあることに私はふふっと笑いました。川上さんもここに驚かれたらしく、前に言った本のなかで取り上げておられたのですが、歳時記というとなんだか辞書的なものだと思っていただけに、なんとも大らかな説明に、そしてそれが本当に書いてある!という事実に私は面白くなりました。

先生、他にもなんだか主観的な説明が多いのです。こういうイメージだとか、こういう感じがするとか、ちょっとこう、ざっくばらんな感じ。けれどもそれに対して「いや分かるけども」とか「そうだよね」とか頷いてしまうのも確かで、今の世の人たちが見たら歳時記の出来映えとして不適切だと目くじらを立てられてしまうのかも、と思いながら、私はこの本を眺めていると、虚子がひどく身近な人に思えてならないのです。

先生、今、私は九月のページを一ページずつ捲って、季語を見ています。季語となるような言葉は自然を写し取って生まれたものだと思うのですが、私のようなぼんやりものは秋の季語を知り、秋を感じることが多いです。おかげでまだ暑さの残るなか、ああ、これは秋だと深く頷いています。虚子の歳時記は小さな本ですが私にとって大きな実りを与えてくれたような気がします。

長くまとまりがなくなってしまいすみません。先生、お身体に気をつけて。栗スイーツが立ち並ぶ時期になりますね。先生の栗スイーツ巡りの記録を実は楽しみにしています。それでは次の手紙で。

かしこ

@sasameyuki_is
われならで誰かあはれと水茎の跡もし末の世に伝はらば