あの時ほんとに嫌だったクラス
でも、卒業前になって、大好きって思えたの。
これってある意味、思い込みなのかもしれない。
高一の時は、嫌いだった。
でも今は、好き。普通に、寂しい。
同じ自分なのに、違う感情を持ってる。
これって何なんだろうね。
相手をちゃんと受け止められた証拠なのかな。
もちろん、受け入れてはないところはたくさんあるよ。笑
受け止めてるだけ。だって、価値観は違うからね。
でも、この3年で、大きく変わったことは間違いなくある。
それは、人に対しての見方が変わったことなのかもしれない。
人の性格はそう簡単に変わらない。
そして、人って良いとこよりも、嫌なとこの方が見つけやすい。
最初は、嫌なとこしか見えないし、
「あの子にも良いところがあるかもしれないよ」
なんて言われても、「知っても意味なくない?」とかね
正直、思ってたよ。
でも、チームとして、組織として、何かを成し遂げるとかなると、好きとか、嫌いとか言ってもられないわけよ。
実現させたいビジョンに近づけるなら、例え嫌いな人でも、力を貸してもらわないといけない。
くそって感じだよね。何であいつにお願いしないとなんだよって。
でもその時、自分の生きにくさを感じました。
そして、お互い良い気持ちしないで、夢を追う時間の無駄さを実感しました。
だから、嫌いな人の良いところを見つける癖をつけることにした。
とは言っても難しかった。
だから、その子が助けを求める時、率先して助ける手段を取ることにした。
これが、結構良かったなと我ながら思う。
助けを求めてる時って、唯一、相手の弱さに潜れるんだよね。
その時、相手が見ている世界を、近い目線で見れた気がする。
この子が、こんな風な態度しか取れないのは、これまでの環境のせいなのかもしれないとか。
その子が悪いというわけではないということが腑に落ちる。
だから、受け止めることができるようになった。
人とうまく付き合っていくことは、自分の感情を押し殺すことじゃない。
自分を出しつつ、相手を出しつつ、
受け入れようとするんじゃなくて、受け止めることな気がする。
これが、APUで通用するのか、それが今のところ一番気になります。
教育を探究したと言いながら、一番探究していたのは
一緒に生きて行くとは?ってことだったのかもな。
おわり