ほんとうはずっと逃げたかった。
自分の決めごとから。かたまってしまった暮らしや関係から。
自由になりたかった。人から、世界から、自分から。
ブログで「趣味じまい」宣言をして、そのあとツイッターで「好きなことをやめてもいいんだよ」とつぶやいた。わたしとおなじようなどこかの誰かに届けばいいと。
仲間やコミュニティがあると、SNSをやってると、やめるのってなかなか言い出せない。だけどやめてもいいんだよっていつかどこかで言いたかった。
それは、前々から趣味じまいを考えてたわたし自身が赦されたかったから。
自分を赦すのがいちばん難しい。だからセットで人を赦す。そうしたらなんとなく赦されてもいい気がしてくる。
華原朋美の「あきらめましょう」がとても好きだ。
初めて聴いたときは自分自身がまだ若くて、「何言ってるんだろう、なんであきらめるの?」って不思議でたまらなかったけど、歳をとってから聴いてみると「これはめちゃくちゃ前向きな歌だ!」とやっとわかって。つらいときに聴いて泣いて、何回も立ち上がらせてもらった。我が人生における応援歌のひとつ。
「ホントの自分は何処 振り回されちゃいけないと思うから」
どんなに好きで愛してても、自分が自分でいられないと意味がない。それが生きる、人生というやつなんだろう。
愛して、あきらめて、手放して、またなにかを手にとって、あるいはやり直したりもして。変わりながら、赦しながら、誰もがそうやって生きていく。
わたしも、生きることをあきらめたくない。