うさんくさい人との雑談ログ

※PTSDなど確実に合わない人がいる話題なのでサバイバーは体調優先してください(直接的な被害については書いていません)

仕事中に合わないにおいが間近にあるけどその場から離れることができない状況になったとき体が知らない挙動をした。

まず、腕の血がスーッと引いていく感覚があった。次に頭痛。意識がどんどん朦朧としてくる。なんとか体調が戻ってからこれは一体どういうことなのか調べてみたらどうも『迷走神経反射』が症状として一番近い。ストレスなどの外的要因で脳が貧血状態になるそう。

最終的には失神に至るらしく、学校の朝礼で倒れた同級生を思い出して納得した。あれは脳に血がうまく巡らなくなると起きる不調だったんだな。余談ではあるけど私が頭痛を訴えているとき近くにいた人は蕁麻疹出ていた、身体反応千差万別。

人生初の迷走神経反射を経験してもうこんな目にはあいたくない、と思っていたのも束の間。初めてのときよりも確実に程度が低いにおいと遭遇しただけで腕の血の気が引いていった。嗅覚が「このにおい知ってる!危ないから体に伝えなきゃ!」とシグナルを送ってきたのでしょう。

形状記憶合金もかくや、という体調の再現度に驚かされた。においで失神寸前トラブルは五感に刻まれた記憶を体がトレースする、ということを実感した出来事だった。

嗅覚からくるタイプの迷走神経反射対策として異変を感じたらいつもポーチに入れている香水のアトマイザーのキャップを嗅ぐ、を採用している。今は危機的状況じゃないから警戒しなくて大丈夫だよ!と鼻に伝えるイメージで、原因を注視しすぎないよう気を散らすのが大切だと感じる。

前置きが長くなったけど10年近く前になんとなく会話したことが自分の中に未だ残っているので、当時のログの清書をかねて残しておきたい回。メモと記憶を照らし合わせて書いてるから正確性はナシ。

その会話の相手(以降先生とする)いわく、心の中に幼少期の自分がいるとのこと。

先生は「先生、ちょっと」という前置きから会話を切り出されると、変に萎縮してしまう自分にある日気づいたらしい。おかしいな、と思って記憶を遡ると幼少期に起きた出来事に行き着いたそう。

先生は幼少期に滑り台からお姉さんを突き飛ばしてしまったことがあり、そのことに対して大きな罪悪感を大人になっても抱えていたらしい。お母さんから叱られるとき普段から「先生、ちょっと」という前置きから始まるので、当時お姉さんを危ない目に合わせた罪悪感も含めてその時の出来事がセットで深く記憶に刻まれたのかな。

なので、先生は「先生、ちょっと」という聴覚からのトリガーで萎縮という心身の反応を現在の自分にトレースしてしまう。それは生活をしていくうえで結構困るので幼少期の自分との対話を積極的に進めていった結果、もう「先生、ちょっと」と言われても心身がなんの反応も示さないようになった!とのことだった。

イメージ的には滑り台の場面に当時の小さい自分と現在の大人の自分がいて、そこで何度も自己対話を繰り返したそう。先生は「もう大丈夫になった」と言っていたかな、私もその状態になりたい。

あとから知ったのがインナーチャイルドという概念。

えー!これあのとき先生が言ってたやつ!先生の中だけの造語的な概念じゃなかったの!と驚いたことを覚えている。この概念は心理学的なものとスピリチュアルなものがあるらしい(先生が話してくれたのは前者)

トラウマは記憶の冷凍保存、といった言説をよく見聞きするのでその状態を解凍していく作業と考えると幼少期の自分との対話というのはとても納得がいく。

現在の自分は原体験の昇華として噛み砕いている。過去に生まれた内なる不安を現在の自分の言葉や経験で説得して己を安心させる、という禅問答。やってることは生き直し、自分の育て直しに近いのかな…認知の歪みの矯正の側面もある。

自分はこの自己対話をじっと座ったり横になった状態ですると“のまれる”ので体を動かしながら行うようにしている。サウナで体に刺激がある状態、ライブやクラブで大きい音を浴びながら、散歩しながらするのが特に向いている。

合わないにおいに対して好きなにおいをぶつけるのと同じで適度に五感を刺激して気を散らしながらがいいということなんだろうな。そんなこんなでタッピング療法もなんとなく腑に落ちた。

今年に入ってからこの手の自己対話を積極的に繰り返し続けていたら、生活をしていくうえで変に引っかかる言葉や出来事はたいてい現在目の前で起きてることが原因ではなく、ただ過去の自分のなかのわだかまりに心身が引っ張られているだけなことが多いと思えるようになった。今困っていることではないから大丈夫、と判断できるのってすごく気が楽でいい。

昔の私はそれすごく嫌だった、わかるよ~でも今の私は大丈夫だから安心してね~と過去の自分に理解を示して安全を言い聞かせながら暮らしている。これがうまくいったらPTSDで生活がままならなくなることも減る気がして希望を感じていた。

が、先日サカナクションのライブに行ったときもう二度と会いたくない人間と骨格・髪型・筋肉の動かし方が似ている人が目の前にいて体調が悪くなった。目の前にいた人は本人ではないことはわかっているし大変申し訳ないけど血の気が引いて胃がひっくりかえりそうな全身のこわばりでどうにかなりそうだった。視覚がトリガーになっていると理解していたので動けなくなる前にその人が見えない位置に移動してしばらく経ったら体調が完全回復とは言えないけどある程度よくなった。

ちょっとずつ過去と現在を切り離して考えるように自分自身を調整していてもしっかりフラッシュバックで心身は不調を訴えるし道のりは果てしなく長い。持ち直すスピードは確実に早くなっているし気長にいく(これは己への言い聞かせです)

先生と話したことを忘れず生活していたおかげでなんとか対処できた場面ってこの10年ほどの間に結構あると思っている。あのとき滑り台の話をしてもらえてよかった。

なんで先生は『先生』なのかというと、本人が「その道で結構有名なんだ」と自称していたため。うさんくさすぎて最高。特定の職業に就いている人にしか惹かれないんだろうな、と会話しながら根深いものを感じていた。お元気だろうか、また話してみたいです。

PTSDによる生活の停滞の揺り戻しをなんとかしていこうという気概を感じる2024年です。

写真は松茸食べに千葉行ったときの写真。ブログ向きのこういったなんでもない写真のストックがコロナ以降ほぼない。コアラと食べ物はそれぞれインスタにアカウント分けてるからそっちに載せたいし悩ましいな。

@satoimonokawa
名前はそのときのマイブーム調理行程です。