ブログ遍歴やネット自我の扱いについて思い出せる範囲でまとめる回。
多感な時期にCURURUからAlfooを経てブログは書かなくなり、Tumblrを始めるまでの空白期間は今年で登録16年目になるTwitterとInstagramに日々を垂れ流していた。
(手書きブログも間に挟むけどあれは別枠)
2015年末から2019年夏まではどうにか稼働していたTumblrはこちら。
Instagramはスマホ、Tumblrはカメラで撮った写真を上げる感じで住み分けしていた。
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CURURUは当時のネット友だちに誘われたハンゲームの延長、Alfooは個人サイト時代の名残りだったはず。
当時はブログタイトルにそのときハマっていた曲とか歌詞を本文に関係なく引用していた人が多かったことを思い出してすごく懐かしい気持ちになった。それで知った音楽がたくさんあるので個人サイト時代に感謝している(例:相対性理論)
ブログのタイトルやイラストのキャプションに「LOVEずっきゅん」と書いたことのある、見たことある人たくさんいるでしょう。私もその一人です。
ブログタイトル今後どうしていこう、統一感を持たせるには大事な部分だと思うけど今日はとりあえず体調書いた。内臓の不調はいつだってつらい。
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当時はブログ自体が流行っていたし、周りの人もガンガン日記をアップしていたから自分も特別意味もなく日々のことを書いては上げていた。それが続けられたのは働き始めるまでだったな…社会人になっても続けられている人は本当にすごい。
あと、オープンなところに自分のことを書くのはなんでも難癖をつけて説教長電話してくる人が当時の人間関係にいたのもあって徐々に避ける方向に舵を切った。
本人に一切関係ないなんでもない夢日記に「これって自分のことでしょ?なんで君はそんなこと書くの?」などとまったく見当違いのいちゃもんを付けられたときの恐怖は忘れられない。家にいるのがわかるようなことを書けば「今ちょうど近くにいるんだけど」とか言われたな。なんでも都合よく自分に寄せて考えてしまう人らしいのでそれもできないくらい離れた。
そんなこんなで鍵なしのSNSではなるべく現在の交友関係がわからないように個人名を出さない、近しい人にほどいいねしない、今まさになにをしているのか書かないなど気をつけていた。これらを守ってSNS運用をすると体調のことくらいしか書くことがなくなる。
鍵なしのSNSは基本的に朝顔の観察日記のイメージで運用していた、そうすると悲しいことに新規の交友が減る。なんでもインターネットに書いていた時期に現在も仲よくしてくれている友だちらと出会ったのでそれも含めてネット自我は大切だとあらためて思う。
東京に引っ越してからの新規の交友関係は友だちの紹介か酒場での出会いにほぼ限られる。今週近所の飲み友だちの結婚式に参列する、ネットの出会いと縁遠くなったものだ。
このブログは鍵なし鍵ありSNSの中間くらいでいきたい。
(今現在も鍵なしSNSは親族はおろか職場の人に見られてもノーダメな感じでプレーンに仕上げたがってはいるけど深夜に突如として朝顔の自我が暴走するのもまた味だと思ってツイ消しはしない方針でいる)
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高校生のときどんな漫画読んでアニメ見てなに聞きながら通学していてバイト先の人とどんな会話をしたのかたまに思い出したくなるときはTwitterのログに助けられている。なんでも垂れ流す素直な高校生でいてくれてありがとう!!
ごく個人的などうでもいい日々こそ未来の自分が思い出したい知りたいことの宝庫なので、人助けだと思ってまめになんでも書いていきたい。未来の自分は他人なので自分助けではなく人助け、手間と時間に恩を感じてどうかこれを読み返すことがあったらまたさらに生活を書き残してほしい。
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写真は元気のない藤棚。本当に元気がない。