夢書き歴20年

さとり
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公開:2024/1/9

早いもので私が夢小説を書くようになって20年近い。

ご存知の方も多いだろうが、夢小説とはアニメ、漫画、ゲーム、小説等に登場する既存のキャラクターと自分の考えたオリジナルキャラクター(通称・夢主)の織りなす二次創作小説を指す。恋愛が主題であることが多いが、書き手によってテーマや内容は様々である。

昨今では、二次元のキャラクターにガチ恋する女性を「夢女子」と呼ぶこともあるらしいが、その呼び名の由来となったのが夢小説ではないかと愚考する。

私が思うに、血湧き肉躍るような作品に触れたときに大多数のオタクが夢想するであろう「この作品の世界に自分(もしくは自分に準ずる登場人物)がいたらなぁ」「自分がこの場にいたらどんなふうに行動するだろうか」「不遇すぎる推しを助けてあげたい」という素直な願望を昇華させた二次創作である。

思い返せば、夢小説の存在を知る前(さらに言えばインターネットで夢小説という二次創作が確立する前)の幼きみぎりから、面白い小説や漫画に触れたときには魅力的な既存のキャラクターたちと肩を並べて活躍する登場人物(基本的に私が好感を持てるような性格の少女)を自分の脳内で勝手に生み出し、その物語に投入させていた覚えがある。

どうして思わず自分の妄想した登場人物(以降「夢主」とする)を投入させてしまうのか。

魅力的だと感じる作品にそもそもの女っ気がなかったり、生きるか死ぬかの瀬戸際のストーリー展開で恋愛にうつつを抜かしている場合ではなかったり、作中にいまいち気に入る女性キャラがいなかったり、理由は様々ある。

その中でも、私が妄想をする最大の理由は「好きなキャラが作中で見せなかった別の一面を引き出したい、見たい」である。特に好きなキャラが男性の場合、バトルやスポーツに明け暮れていた作中では見ることのできなかった一面──意中の相手の前での振る舞いが見たい。

私が好きになる男性キャラの大抵は十代から二十代の美青年だ。たまに人外で1000歳オーバーの超後期高齢者ということもあるが、見た目はフレッシュな若者である。そんな美貌の青年たちが現在は色恋どころではなかったとしても、過去や未来に恋愛しないとは限らない。好きな男性キャラが好いた惚れたの色恋沙汰で夢主を振り回したり振り回されたりする、原作からのifルートが夢小説だと思っている。その恋愛相手となる夢主は、その男性キャラが好きになる理由と説得力を持つ女性がいい、可愛くて、適度に勇敢で、等身大にこずるくて、と夢書きの妄想はとどまるところを知らない。

この「夢妄想」は一部の界隈の特殊性癖なのだろうかと思っていたが、直木賞作家の桜庭一樹さん(ちなみにときめきメモリアルGS1のシナリオライターを務められた)がエッセイの中で、「シャーロック・ホームズに夢中だった幼少期に、物語の中にハドスン夫人の代わりの少女がいる設定を自分の中だけ作って、小説を読んでいた」という内容を語られていて、直木賞作家がそういう夢妄想していたのならまったくもって特殊性癖でもないなと安堵した。

きっと作品に深く深くのめり込めばのめり込むほど湧き上がる妄想なのだと思う。

原作にいないキャラ(夢主)を登場させるため、同じ穴のムジナのはずが二次創作界隈ではなんとなく肩身の狭かった夢小説だったが、私の観測した範囲では徐々に変化が起きている気がする。

ピクシブの上位ランキングに夢小説作品が浮上したり、旧ツイッターには「○○プラス」のハッシュタグを付けた創作が盛んになったり、どうやら「ハーメルン」という小説投稿サイトには「それは名前変換なしの夢小説じゃないか」と言いたくなるような二次創作が投稿されていたりもするらしい。

それに「夢女子」「夢豚」などの夢小説や夢妄想を前提とした呼び名が定着し、卑下せずに(あるいは自虐や諧謔を含んで)堂々と自称する人たちも多くいるらしい。ここは非常に変化を感じる。私が個人サイトで盛んに夢創作していたときは、なんとなく負い目というか、社会的認知を受けていた腐女子や腐作品よりも日の目を見てはいけない存在のように感じていた。

つい先日、天下のNHK制作の番組『ねほりんぱほりん』で「夢女子」の特集が組まれていた。どんな内容か見ることはなかったが、社会的認知の魔の手がとうとうここまで、と恐怖するとともに長年にわたる己の夢創作についても考えさせられた。

私は30代半ばに差しかかったが、いまだに面白い漫画を読めばオリジナルの少女呪術師を妄想し、そしてスマホのメモ帳に夢創作を開始してしまう。