美と殺戮のすべて/監督:Laura Poitras

satosansan
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原題:All the Beauty and the Bloodshed

美と殺戮のすべては、オピオイド危機に対する抗議活動を追ったドキュメンタリーだが、私はそもそもオピオイド危機を知らなかった。社会問題らしく、米国でむちゃくちゃ人が死んでいるらしい。興味を持ったので、見た。


前準備として、以下の事を知っておいた方が良さそうだった。

  • オピオイド:麻薬性鎮痛薬。

  • オピオイド危機:オピオイドの中毒に悩まされる患者や、過剰摂取による死亡者数の増加のこと。中毒者による犯罪も増加しており、米国で社会問題化している。

  • パーデュー・ファーマ社:オピオイド危機の元凶と言われている製薬会社。

  • オキシコンチン:パーデュー・ファーマ社が売り出したオピオイド。FDA(食品医薬品局)から認可を受けているため合法。

    「鎮痛効果が12時間続く」ことと「依存症の確率が1%以下」を売り文句に米国で爆発的な売り上げを誇った。だが、薬の効果は実態と合っておらず、中毒者が続出した。

  • サックラー家:パーデュー・ファーマ社を経営する一族。美術館に多額の寄付をする慈善家として知られていた。

  • P.A.I.N:ナン・ゴールディンが主宰する活動団体。サックラー家から寄付を受けている美術館に対して抗議活動を行う。Prescription Addiction Intervention Nowの略。


社会問題になっているだけあって、既にドラマ化されていた。自分は以下の2作品を見た。

いずれもパーデュー・ファーマ社とオキシコンチン、そしてサックラー家をめぐる話である。オキシコンチンが、いかにしてオピオイド危機を引き起こしたのかについて描かれる。

概要をつかみたいなら取っつきやすいペイン・キラー、より詳細に知りたいならDOPESICKかな、と思う。DOPESICKでは、最終話の「民衆 VS パーデュー社」では、P.A.I.Nのデモの様子が引用されており、象徴的な出来事として扱われている。

本筋じゃないので詳細は語られないものの、2作ともサックラー家が美術館に多額の寄付を行っていたという点については触れていた。美術館に名前が載っているようで、それは有名な話のようだった。

以下の記事で具体的な金額が記載されていたが、そりゃ名前が刻まれるだろうなという金額だった。


本題。

本作の冒頭で、ナン・ゴールディンは次のようなことを言う。

人生を物語にするのは簡単。でも、正しい記憶を保つのは難しい。実体験には匂いや汚れがあって、単純な結末にはならない。

彼女の写真家としての矜持を感じることができることができる発言である。そして、それはそのままサックラー家が引き起こしたオピオイド危機の顛末にも繋がってくる。

本作は、写真家としてのナン・ゴールディンの歩みと、彼女がP.A.I.Nのトップとして行う抗議活動が交互に描かれる。写真家として人々を撮って記録してきた彼女と、被写体として映画に記録される彼女が対比になっていた。

彼女の半生を巡るパートでは、姉のバーバラ・ゴールディンとの死別から始まる波乱万丈な人生とともに、彼女が撮り続けた写真が次々と映っていく。私はナン・ゴールディンを知らないので、そのすべてが初見だった。彼女の写真には、彼女の言う匂いや汚れが封じ込められているようで、当時の人間の歴史や文脈を感じるところが魅力的だった。写真の中に一個人の存在を強く感じた。

そんなナン・ゴールディンがP.A.I.Nを立ち上げる理由は、彼女自身がオキシコンチンの過剰摂取に苦しんだ経験からきている。本作ではさらっと触れる程度だったが、当時を語るインタビューを見るに「生き残った。」と言えるくらい深刻だったようだ。

My relationship to OxyContin began several years ago in Berlin. It was originally prescribed for surgery. Though I took it as directed I got addicted overnight. It was the cleanest drug I'd ever met

私とオキシコンチンの関係は数年前にベルリンで始まった。当初は手術の際に処方されたものだった。指示通り服用したにも関わらず、一晩で中毒になってしまった。私がこれまで出会った中で最も純度の高いドラッグだった。

引用元:Nan Goldin - Artforum

I didn't get high, but I couldn't get sick. My life revolved entirely around getting and using Oxy. Counting and recounting, crushing and snorting was my full-time job. I rarely left the house. It was as if I was Locked-In. All work, all friendships, all news took place on my bed.

私はハイにはならなかったが、かといって病気にもなれずにいた。オキシコンチンを入手し、使用することが私の生活の中心になっていた。何度も数え上げ、砕き、吸引することが私の仕事だった。ほとんど家を出ることはなく、まるでロックインされているようだった。仕事も、友人関係も、世間のニュースも、すべてがベッドの上で完結していた。

引用元:Nan Goldin - Artforum

P.A.I.Nの抗議活動は、薬のビンや血で止まった紙幣を撒いたりと、抗議活動においても芸術性を追い求める姿が見て取れた。苦しみを芸術に昇華するというのはこういうことかと思った。その姿勢自体が薬の売り上げだけを追い求めたサックラー家に対する批判になっていたのがユニークだった。

ナン・ゴールディンは「隠蔽される不都合な真実」を記録するために写真を撮り続けると言って本作は終わる。それは、姉を失いそれを両親に隠された彼女個人の経験、彼女の写真家としての人生を通して出会ってきた様々なマイノリティの友人たちの姿、果てはオキシコンチンを通した社会的な問題まで広がっていった。彼女が言う匂いや汚れはいつの間にか綺麗になって、自分も知らず知らずの間に見落としているんだろうなと思う。