Past Lives/監督:Celine Song

satosansan
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アカデミー作品賞のノミネート作品を見た時、Past Livesは飛び抜けて異質だった。韓国人の幼馴染が外国で再会する話が何でこんなウケているのか。韓国映画と言えば「パラサイト」が偉業を成し遂げたけど、あの時のような刺激的な設定や映像、社会派の香りは特にしなかった。

見てみると、妙に「絵になる」シーンがやたら多い映画だなと思った。違和感をおぼえるくらいどこを切り取っても綺麗な映像が続く。2人が再会するニューヨークの風景は、何か人工的なものを感じるくらい綺麗だった。

時折挟まれる音楽も綺麗だった。本作は主人公は、年齢が12歳→24歳→36歳と3段階ジャンプする。時間は音楽と一緒に流れて行ってMVを見ているような感覚。ちょうど「君の名は。」を思い出す。あんな感じ。担当したのはGRIZZLY BEARというバンドのDANIEL ROSSENとCHRISTOPHER BEAR。バンドマンが劇伴をやると良くも悪くも音楽が前に出て印象に残るのかも。

あの違和感をおぼえる美しさは「アメリカへの憧れ」を表現しているようにも思えた。作中で「移住」が野心の表れのように言及されているのだけど、多分、それはアジア的な感覚だよなと思った。日本でもそうだけど、移住自体に大きな意味を見出しているような気がする。移住自体は、単に移動なのだけど。

主人公は、本名であるナヨンと移住した際につけたノラという英語名を持っている。カナダとアメリカでの生活を通して、主人公はノラになっていき、ナヨンではなくなっていく。

主人公と結婚するアーサーは彼女のアイデンティティクライシスを見透かし、自分との結婚がノラが移住当初に抱いていた野心を停滞させているのではないか、と危惧しているかのような発言をする。アーサーがノラと幼馴染のヘソンと会うことを許したのは、彼女の抱える心理的な問題は韓国という国にあって、それを解決できるのはナヨンを知るヘソンのみだと考えていたからだろう。

アーサーの許しを得てノラとヘソンは再会を果たす。再会した2人がニューヨークを歩くシーンは引きの画が多用され、すれ違う人々が映し出される。それは友達グループだったり、カップルだったりする。ノラとヘソンもその風景の一部のようで、彼女たちが何か特別な運命で結ばれていたわけではなく、世界に数多あるありふれた縁の中の1つだと言っているようだった。

縁は何かとロマンティックな意味で用いられるけど、本作ではネガティブな意味合いでも使用される。縁が前世から繋がっていて、来世へと繋がっていくものなら、現世で結ばれることのない2人は、来世も、そのまた来世も結ばれることはない。

最後のシーンで何故ノラが泣いたのかを考えると、彼女のアイデンティティの問題も関わってそうだよなと思う。ノラは、自分はもうナヨンではなく、ヘソンの思い出の中にだけ居るという旨の発言をする。実際、韓国人としての自分を繋ぎ止めるのはヘソンのみで、ヘソンとの縁が切れることは彼女にとってナヨンとの別れでもあった。

ナヨンの消失がノラにとって夢の終わりを意味していて、それが縁によってあらかじめ決まっていたのだとすれば、彼女はこれからもアーサーと安定した幸せな結婚生活を送って、そのまま停滞していく。その未来を想像して彼女は泣いたのかな、と思う。