アリ・アスターのボーはおそれているを見た。興行成績はだいぶ赤字になってしまったと聞いていたので、あまり期待はしていなかった。
結果として赤字なのは納得のものが出てきた。そりゃあウケないでしょ。これは。
1章
頭の中で思いつくまま悪意や暴力を詰め込んだスラム街が映し出される。限られた時間でできるだけたくさんの惨状を見せたいのか、妙に綺麗に陳列されていて可笑しかった。博物館に行ったような気分。良い映像。好き。
2章
ボーの不憫さと不可解さが加速。特に印象に残ったシーンはない。世話になった家の娘が「あんたはここでふゆと死ぬのよ」みたいなことを言い出してペンキを飲み込むシーンがめっちゃ人気そう。
3章
現実と妄想の区別がつきにくくなる。自立した世界線のボーが描かれているが、4章までいかないとこの辺のシーンがだいぶ意味不明なため、少し眠くなる。周りの席からイビキが聞こえ始める。
4章
遂に帰宅に成功するボー。何故か家にある写真の中に冒頭に居たマンションでボーが電話してるっぽい写真が見える。自分がおかしいのか映画がおかしいのか。
唐突にロマンスパートが襲来。ヒロインとの濡れ場に突入するも、客席から轟くイビキも最高潮に。ゴロン族を彷彿とさせる轟音とヒロインの喘ぎ声が混ざり合い、不快感をはるかに超えて笑えてしまう。それはスカムのよう。ボーが達したタイミングでイビキがピタリと止む。おはよう。
入れ替わるように母親が襲来。屋根裏の秘密が明かされるが全く理解できず、本格的に話にいていけなくなる。
話には置いて行かれているものの、ボーは止まってくれない。ボーは船を漕ぎ出して何処へ。裁判所にたどり着き、裁判パート突入。ボーが過去に起こした行動を母親目線で振り返り、糾弾され、断罪され、ボートが爆発する。爆発オチなんてサイテー。
終幕
出産シーンから物語が始まったので、精子であるボーが出産に向かって旅をする話なのかと想像したのだけど、自立し損ねたボーが母親から逃れられずに胎内へ回帰する話だったっぽい。ボーは人生を逆走してた。
見終わったので、過去に掲載されたアリ・アスターの記事を読む。
I consider the film to be a picaresque, and I think part of that tradition is a certain irreverence towards the integrity of any sort of narrative structure
参照元:Ari Aster Reflects On The Divisive Reaction To Beau Is Afraid: ‘It’s Designed To Be Wrestled With’
曰く、本作品はピカレスクであり、ピカレスクは完璧な物語構造に対してある種不遜な態度を伝統的に取っているそうだ。
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訳合ってんのかこれ。英語分かんない。あと学がなさすぎてピカレスクが分からない。検索。
社会の下層に位置する主人公が、一人称で自己の遍歴や冒険を物語る小説形式。挿話を重ねていく構造を持ち、時間、空間がパノラマ式に変転していくのが特徴。
参照元:知恵蔵 「ピカレスク小説」の解説
チョットワカッタ。
裁判パートを見ていて考えていたのは、理不尽だけど母親目線はボーがカスだよなという部分だった。本作はボー目線のシーンだけで構成されていて母親は実はこう考えてたというシーンが存在しない。母親の言動と行動は異常で醜悪なのだけど、先天的にこういう人間だったのか、ボーが原因で後天的に狂ってしまったのかも不明。分かるのはボー目線の母親であり、ボーはただひたすら母親をおそれていることだけだった。地の文のない小説を読まされているような感覚でストレスが溜まるのだけど、現実世界は地の文なんてないし相手の視点を見るチートなんてものもないから理不尽なことも起こるよねっていう作品に見えた。物語の構造が実験に走りすぎている気がせんでもない。
このストレスが溜まる映画をアリ・アスターは2周以上することを想定していたようだった。
In a major new Empire interview, Aster reflected on the overall reaction to the film – including the fact that many viewers might not have quite known what to make of it. “I do hope people return to it,” he says. “It’s definitely a film that I think benefits from going back. I don’t think you quite know what it is until you’ve gone all the way through. I imagine that the second viewing would be hopefully rich in a way that the first one can’t. It’s designed to be wrestled with.
参照元:Ari Aster Reflects On The Divisive Reaction To Beau Is Afraid: ‘It’s Designed To Be Wrestled With’
正直、いきなりフルチンの狂人に刺されるような映画体験を何回もしたい人は少ないんじゃないかと思う。アリ・アスターは物語と対峙してもう1度格闘してほしいみたいだけど、僕のライフはもうゼロなのでごめんこうむりたい。