DAY2
昨日とは一転して晴れ。入場から何から何もかもがスムーズにいった。メンバーシップのチケットホルダーはもらえなかった。
席はまあまあ前の方だったのでステージが良く見えた。ステージの面に植物が置いてあって、マイクスタンドが木の枝のように見えた。ステージと機材が一体化してるみたいで綺麗だなと思った。
ライブは手を変え品を変え猛スピードで進行していった。ゲストは続々と入れ替わって花譜の衣装も次々に変わっていった。情報量が多くて飽きが来なかった一方で、情報が脳で処理される前に通り過ぎていくような感覚があった。新形態「雷鳥」なんかは初お披露目であるにもかかわらず、いつの間にか別の姿に変わってしまっていた。コンテンツが高速で消費されていくような寂しい気持ちになった。
怪歌はクライマックスの廻花に向けて、アバターの姿形が自由に変化していくというプロセスが必要だったので、構成が問題だったというわけではないと思うけど、それに伴う歪みはあったように思う。
廻花。
廻花が登場した時、観客はとにかく困惑していた。この人数の人間が同時に困惑するとこんな空気になるのだなと思った。希少な経験だった。
自分は観客の反応に対する心配が頭の中を埋め尽くしていたが、曲が進むにつれて観客からは歓声が上がり廻花を歓迎している様子がうかがえた。色々と杞憂だったなと自省した。観客自身も自分と同じように察していたようだった。
終演。
ライブの帰り道の電車の中。頭の中を整理していたところ、ファーストワンマンライブ「不可解」開催後の運営の文章を思い出して読み返していた。
場所は言えませんが、彼女は今も東京からは遠いところに居ます。
物理的な状況から東京での活動が難しく、出会った当時は13歳で中学生という立場、またそれ以外のいくつかの事情も重なって、当時本格的な音楽活動をするのは実質不可能な状況でありました。
そして、顔出しすることに強い抵抗感がある彼女の御両親に「バーチャルYouTuber」というカルチャーが存在する事を説明し、VTuberを支える文化やテクノロジーを活用していけば、遠く離れた場所でも未成年が安全に活動、運営が出来るのでは無いか?とお話をした結果、あるひとつの可能性が見えてきたのです。
花譜には「未成年の女の子がプライバシーを守りながら音楽活動を行うために用意されたアバター」という側面があったので、彼女が成人した段階で当初の役割は完遂したと言える。それに伴って、高校から大学に進学して新しく何かを始めるように、新たな姿に分岐して新たな試みを行うのは自然なことのように思う。
廻花は花譜に比べて、より現実に近い頭身にしていた。その姿にショックを受けている人もSNSでお見かけした。中学時代に作成されたアバターの姿で、世間の認知が止まったのまま成人した人間を、僕は花譜しか知らないので、それは特有の問題っぽいよなと思った。裏を返せば本人もまたそのようなギャップを感じている瞬間があったのかもしれない。
バーチャルから抜け出した表現をしようとした場合に、どうしても実体とアバターのギャップにぶち当たってしまうため、その表現を切り捨てるか観客の認識を更新するかの2択になり、KAMITSUBAKI STUDIOは後者を選択した。そして、更新するなら通過儀礼のこのタイミングが最適だった。というのが自分の見解になる。不自由さを許容するのは好きではないので、選択肢を広げる選択をして良かったなと思う。
廻花を表現するにあたって「バーチャルプロダクション」を選択したのもユニークだった。
廻花をあえて「バーチャルシンガーソングライター」と表現したのは、彼女の「存在の可視化」にバーチャル性を持たせているからです。
昨日のライブは、ステージ場でライティングしてシルエットにしているのではなくLEDに代々木体育館内に作った収録スタジオから本人を生中継させる形で、CGの舞台美術と本人をリアルタイムで融合させています。専門的には「バーチャルプロダクション」と言われる領域になります。
VSingerが年々色々と出てくる中で、本体とアバターが完全に分離していて並行に稼働する形態の方が、拡張性が高く自由な表現ができそうだよなと長らく考えていた。
廻花はアバターの縛りから自由になるという発想は一緒だったものの、アプローチの仕方が全く逆だった。本体とアバターを切り離すのではなくて、現実の身体にインターフェースを搭載してバーチャル空間に連れて行く方式をとっていた。観客席からステージを見た時、廻花がステージ上に実体として存在しているのか、映像が投影されているのかを判断するのは難しかった。その精度に可能性を感じた。
前回の不可解(狂)と不可解(想)で、自分がVSingerを認知した段階でこうあってほしいと想像していたものはほとんど達成されていたような気がしていたので、マンネリ化を感じるのだろうかと思っていたのが正直なところだった。予想外のところから喰らわされて学びがあるライブだった。