『十角館の殺人』(新装改訂版)読了

satozuru
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ネタバレ大いにあります。こちらの作品、素晴らしかったので、まっさらな状態で読むことを強くおすすめします。どうか作品を読んだ方だけ読みすすめてください。以下ネタバレがあります。何言ってるのかわからなくて全然ネタバレじゃないよ!かもしれませんがそれもいいかもしれません。

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あるひとつの、空想を描く。空想した本人だけが、どんな絵なのかを知っている。当然、そのはずだと思う。

でも、彼も知らないとしたら?彼は枠組みを用意した。その枠組みの中でどんなふうに絵が描かれるのか、彼は知らない。それはジグソーパズルの形をとった。彼は多くのピースを自ら置いたが、たびたび、時には重要なピースさえ、登場人物自身の手でランダムに埋めさせた。そして、最後にはそこに、哀れな6匹の狐が描かれることを願った。

意図と事故、計算と偶然、即興と綿密。どれがどのピースなのか?神の立ち位置にあるはずの彼でさえ、おどろき、吐き気に倒れ、大探検し、本気の悲鳴をあげたのだ。面白すぎる。ある人生の物語が、また別の人生の物語と重なり、層をなして、ジグソーパズルの絵に不思議な陰影を与える。彼はその効果をたしかに狙っていた。しかし見えた絵は想像以上に、ひとつの調和した物語に見えた。中村青司の幽霊は存在した。

カタカナの渾名は、島という別世界の登場人物にのみ与えられた。本土で活躍するふたりは、それぞれ渾名をもっているものの、江南が渾名を嫌ったために、本名で呼び合うこととなる。うまいことに、守須の渾名が明かされなくとも気にならない。読者は探偵なので、江南が「コナン・ドイル」である以上、守須が「モーリス・ルブラン」であろうことを、ひとりでに知る。ミステリ好きではなくとも、きっと「モリス」に近い名前のミステリ作家がいるのだろうと、登場人物のセリフを通して察せられるのだ。読者の想像力はこうして物語に加担する。 

それにしても十角館では、こうした集まりにはお決まりである、酒盛りが始まらない。夜にまでコーヒーを飲んでいる。カーも、ポウに飲酒を嗜められてから、少なくとも人前では酒を口にしていない。どうやら、例の事件の後は、暗黙的に酒は避けらされているようだ。罪から逃れ得た江南だけが、酒を堂々と飲む。守須もやはりコーヒーなのだ。 

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久しぶりにかたい調子の文章を書いたらどっと疲れたのでこの辺で終わり。なんか抜粋みたい。

守須の衝撃の一言は、無事わたしにも痛快な衝撃だったんですが、わたしは小野不由美さんの『十二国記』が大好きなので、犬狼真君の衝撃の一言と重なって、デジャブ感を伴う最高の瞬間でもありました。 

あと、ちょうど最近ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を再読したところだったので、今回の『十角館の殺人』の「プロローグ」と、『カラマーゾフの兄弟』の「著者より」が効果的によく似ていることにびっくりしました。「なんと云っても、あらかじめ読者にある観念を注入することが出来る」というやつ。あの本がミステリとして読まれるのもそうゆう部分があるかもしれない。でもまあほんとうは全然似てないかもしれません。とにかく楽しかった。

『十角館の殺人』(新装改訂版)/綾辻行人/講談社